秋月黒田城主のつぶやき

ほんわか、明るく、楽しく、でも凛と生きるための応援歌

【第18回藩校サミット 栃木県壬生大会に参加して】一生懸命の清々しさ

皆様、こんにちは。

少し寒くなり、一段気候が変わったかなと感じるようになりましたね。皆様、お変わりありませんか。

よく考えてみれば、昨年はまだまだコロナ禍の真っ只中でもあり、季節を感じる余裕がなかったかもしれません。その意味で今年は昨年の今頃よりは、光明が見えつつある、そんな気分になれているのかもしれないと思います。ただ、引き続き注意していきましょう。

 

さて、先週末11月20日(土)21日(日)と栃木県壬生町で第18回藩校サミット壬生大会が開催され、これは昨年延期されたものが今年実施されたものです。この藩校サミット壬生大会に参加してきました。

 

オンラインでの会議が増え、利便性が高まったり、単純に集まることに主眼をおいた会議よりはオンラインで会議を実施することの良さが認めたりする昨今ですが、実地、対面、現場での会議の有益性、良さ、価値も改めて感じた次第です。うまく使い分けができれば良いなと思いました。

 

特に円仁太鼓の演奏という題目で、保育園児が、ステージの上で3列ほど、全体で20人、いや30人くらいか、それぞれがきちんと並んで太鼓などを叩くのですが、場所の移動も含めてきちんとそれぞれの持ち場、役割を務めつつ、全体としても一糸乱れぬ姿が素晴らしかったです。この演奏はライブならではの迫力があり、そしてあんな小さな身体を全身を使って必死になって演じている姿をまぢかに見れて、嬉しくなり、何故か涙が出そうになるほど感激しました。

 

その他のプログラムも素晴らしく、それらも別の機会に紹介したいのですが、あの幼稚園児たちの必死の姿を見て、身体を使って、訓練し、練習し、皆で形にしていくという教育の一つの形をみた気がしました。

 

とても気持ちがよく、清々しい気持ちで演奏を聞かせていただきました。ありがとうございました。

なりたい自分になろう

皆さん、こんにちは。

 

世の中、コロナ疲れなどと言われたり。でも、何でしょうね、説明が足りず不透明な状況の中で何かを求められたり、期待されたりというのは、どう動いて良いのかわからずとても困りますね。そういう状態が長く続いていた、いやまだ続いているのが今の世界の姿だと思います。コロナの感染者数等も減少傾向が続き、緊急事態宣言も解除されましたが、まだこれから第六波が来るのではとも言われ、引き続き気をつけて生活しないといけないのでしょう。

 

人は組織や団体であったり、仲間であったり、周りの環境に強く影響されて生きる生き物です。人が抱える問題は全て人間関係から生じるとは心理学者アドラーが言ったことですが、周りの人が言うことに強く反応して毎日を過ごしていると思います。

 

人間関係は基本的に双方向であり、一方通行でないのなら、他人よりも自分が先に気持ちの良い生き方、それも社会、公共にとっても気持ちの良い清々しい生き方ができれば素晴らしいと思う今日このごろです。

 

そしてそのためにも、自分がこうありたい、こうなりたいと思える姿を自分でよく思い描き、その姿を目指して毎日を精一杯過ごせればこんなに素晴らしいことはないと思うのです。

まず自らがイキイキとした生き方を実践できれば良いなと思います。

 

引き続きご自愛下さい。

自然の中で 黙とう

福岡県朝倉市でも4年前の今日、豪雨で甚大な被害が出ましたが、4年経った今も地域の再生、復興の道筋が見えているわけではない。この現実は忘れてはならないと思います。

 

コロナで朝倉、秋月には久しく行っていませんが、少しでも思いを致し、黙とうを捧げたいと思います。

 

以上

東京オリンピックの原点とは?〜森発言の裏側にあるもの〜

皆さん、こんにちは。

 

ここ1週間ほどの騒ぎの中で、何が起こったんだろうか、と思っていたところ、森氏の発言の全文が出ていたのを見つけたので、読んでいました。そうすると、オリンピックのことや、その周辺のこと、その他、不勉強で知らなかったことなどが知れ、今世の中で問題視されていることはもちろん大事なことではあるものの、森氏の40分に亘ったと言われる発言、演説の中で氏が伝えたかったことは、是非、バッシングによって葬りさられず、オーラルヒストリー(歴史上の口述伝承)として残してもらいたいと思うようになりました。

 

不勉強ながら、オリンピック委員会、組織委員会など、森氏が謝罪記者会見で伝えようとされたかったように聞こえた部分も、この際、少しだけ理解を深めました。

 

以下はその全文の抜粋です。特にそれ以上はありませんが、記録として残しておくのも良いかと思い、とても長いですが、そのまま写しておきます。

 

(以下)

日本オリンピック委員会(JOC)は、国際オリンピック委員会(IOC)の日本での窓口として、また、日本におけるオリンピック・ムーブメントを推進する組織としてオリンピック競技大会やアジア大会などの国際総合競技大会への選手派遣事業を行う。またオリンピックのメダリストに報奨金を出すなど、選手強化に努めてきた。1911年の大日本体育協会の設立と共に、長く日本体育協会(現:日本スポーツ協会)の一委員会であったが、1989年8月7日、財団法人日本オリンピック委員会として、独立した法人となった。2011年4月1日には公益財団法人へと移行した。

 

2013年9月7日、ブエノスアイレス(アルゼンチン)で開催された第125次国際オリンピック委員会IOC)総会にて、2020年のオリンピック・パラリンピック競技大会の開催都市が東京に決定。

 

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、公益財団法人日本オリンピック委員会JOC)と東京都により2014年1月24日に一般財団法人として設立され、2015年1月1日付で公益財団法人になった。

 

(森氏発言)

東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会森喜朗会長(83)が3日、日本オリンピック委員会JOC)の臨時評議員会で、女性蔑視と取られる発言をした。約40分に及んだ言葉を掲載します。

   ◇   ◇   ◇

この建物(ジャパン・スポーツ・オリピック・スクエア=JSOS)に、いろんな会議場があるんでしょうが、会議というものに参加したのが今日は初めて。実に立派な会議室だなと。

 

私どもの組織委員会の会議室とまったく違う。私どもの会議にはじゅうたんは入ってないです。つまり、我々のは瞬間的な時間が決まった団体で、JOCは長い歴史がある。これからもスポーツの中心的役割を担うということだと思う。

ああいう、全部すぐ(映像が)映るような部屋はわたくしどもののところにはない。毎日のようにIOC国際オリンピック委員会)と会議としてますが、会議場があっちこっち変わって、その都度職員が大きなテレビを持ち歩いて、そこから放映したり視聴したりしている。言い方よくありませんが、お粗末な会議場でありまして。(JOC会長の)山下(泰裕)さんはうらやましいなと。

しかし、建物、これで公式的には3度目かな、いや4度目。最初は竣工(しゅんこう)式のパーティーの時。その時、長々と歴史の話はしましたので省きます。2番目は山下さんが決められて、なんかあったな、それで参りました。3回目はバッハ会長が安倍前総理にですね、功労賞をお渡しになるのでそれをどこにしようかと官邸から相談がありました。すぐに新しいスポーツ会館(JSOS)がいいだろうと。バッハさんも、安倍さんもこれるし、みんなこれるんじゃないかと。ここでやったのはつい最近であります。その次は参りました4回目が今日です。

いずれも立派なお仕事ができる環境。新国立競技場の真ん前にあり、その横に、競技場のエリアにあった青年館を横に、というよりスポーツ会館の後ろにもってきた。競技場のエリアにあった青年館を横にもってきたと。

そういう構図で、JOCを中心に競技場もあり、これからラグビー協会というより国策に基づき、秩父宮競技場を移転させると。これは国が決めたことで、近所に移る予定だそうです。いずれにしても、この場所は日本のスポーツ界の中心地だと。こんなところはない。結果として、私は当時、(渋谷にあった)岸記念(体育館)におりました(日本)体育協会の会長をしてまして。なった経緯を申し上げますと、河野洋平先生だったんです。河野洋平先生がきて、「一生に1度の頼みだから」と。「体協の会長に推薦されたんだ」と。「実は息子の太郎から肝臓をもらった」と。移植をやった直後で。「医者から飛行機に乗ってはいけないと言われているので、だめなんです。やる気持ちがない」と。従い、「よく分かってくれているのは森さん、あんただから、私は君を推薦したいんだよ、頼むよ」と言われまして。まあ、選考委員長はラグビーの大学の先輩である日比野先生だったものですから、「お願いだから断るな」と、「オレに恥をかかせるなよ」とこう言われまして、それでスポーツ協会、当時の体協の会長をいたしました。

今日は見えているかな、体協の方?さぼってんですか、それとも。(「オンラインです」の声に)オンラインでいるなら、あまり悪口は言えないな。

当時体協の専務、岡崎さんです。「一切口は挟まないからただひとつ」と。「岸記念館を建て直すことがあなたの仕事です」。えらいことになったなと。土地は国のものなんですけど、その下に水道局の施設が入り、そう簡単に動かせない。石原知事にも「森さん無理だよ、動かしたらダメだよ」と。

その時おもしろい話をしてくれた。次の五輪は晴海のほう、新しいフロントシティーでやりたい。従って国立競技場はそっちに持って行く。その時、NHKから相談があったので、NHKは国立競技場がもし晴海に行くなら、NHKの建物もかなり年期がたっているので大きくしたいと、そこ(跡地)に移ると。いまのNHKのビルはそのまま使える。それを協会のビルにすればと。そりゃいい話だと。

岸記念体育館のほうが渋谷の商業地に隣接しているのに、緑地公園なんちゃらで上に伸ばしちゃいけない。NHKの横は閑静な住宅街でしょ。どういう政治的判断があったのか。岸記念体育館は5階建てですか。結局、国立競技場の移設は反対になりました。日本陸連が、あそこは海から風が来るので、陸上競技の種目、風具合にでは公式記録では扱えなくなると。基本的な問題を考えないで、よく考えないで石原さんらしいけど、海側にいくのを断念した。結果として、いまのNHKのところにいくことができなかった。あれだけ大きいのでNF(国内競技団体)の方には広々とした部屋を提供できると思っていたのに、残念でありまして。NHKは動かないと。

さて、岸記念体育館をどうするかと、随分苦労しましたが、見事にスポーツ協会、JOCは、この建設地になったんですね。東京都のみなさんが考えてくれたことだろうと思いますが、もう1つ、あとは日本青年館ですね。青年館の郷里には農業関係の青年が多いですが、青年館は地位が高いですね。東京では日本青年館というのはあまり評価されていないですが、古い団体であることは間違いないですね。当時(新国立競技場建設にあたり)怒られました、なんで国立競技場から出すんだと。避けて建てればいいと。死んでも動かないとなりましてね、たまたまその当時の理事長が、鹿児島県選出の先生でした。私は平身低頭して日本のスポーツ界のためにお願いした。それだけ日本青年会は素晴らしい建物になるはずだと。国立競技場もラグビー場も神宮の野球場もみんな見える、酒を飲みながら見れるいい部屋が理事長室になるはずだと申し上げたら「それはいいな」と。していいかどうか、本人の名誉のために言っちゃいかんかったですが、もう亡くなられましたので。亡くなられる前にお見えになり、感激をしておられました。

青年館が移ったものですから、こちらにもってきたのは妙案だった。それがこの建物です。

オリンピックのマークもつけてもらい。これは竹田さんがやられたのか山下さんがやられたのかわかりませんが、我々も五輪マークをどこかにつけようと、虎ノ門、晴海の時もつけられないか言ったが、絶対に駄目だと。それがいとも簡単にこの建物に。国立競技場を見に来るお客さんは、あれは五輪会館だとこういうんです。ちょっと寂しい感じがしました。本当は体協なのになと。スポーツ協会とJOCが協力して建てたのになと。ところが国民は誰もそうは思ってない。これは五輪会館だなと。どこにあるんだと聞かれると、国立競技場の前に建物がありますと。スポーツ会館というと、「オリンピック会館じゃないんですか」と。これはもう定着した感じがあります。

サッカー協会が自前でお金を作って文京区にビルを作られた。しかし、知らないですよ。これはあっという間にオリンピック会館と言われるようになった。サッカー会館というと、「どこですか」とよく聞かれたんですが。順天堂大の前を…とか言っているんですが、その点、オリンピックのネーミングはそれだけ強いものだなと思います。日本のスポーツ界のまさに牙城、本城だと理解してもらい大いに活用してもらえばなと思ってます。

私も84歳になりますので、この建物を建てるまでだなと。新国立競技場ができるまではどうせ命は持たないだろうと。もうだめだろうと思ってたら、2015年のワールドカップラグビーがイギリスでありまして、その時に医者に頼んだら、ダメだよあなたは年内までだと。海外とんでもない。海外で死ねば本望と言ったら、賢明な女房がつえついて行きなと。歩くのもやっとだった。ロンドンに行ったときは抗がん剤をして、一歩一歩歩くのがやっとでした。帰ってきて、医者に行ったら、年内の命だなと思ってたら、その時に厚労省から薬が認可おろしてくれて。今のワクチンと同じで、もっと早く準備すればいいんですよ、今ごろになって準備とか。その頃からワクチンの準備しないといけないんですけど、厚生省に聞くとどの薬を使うか決まってないからダメだと。結局この薬いいだろうとなってからやるのが、何が必要かと話すのが日本政府のやり方ですね。この建物ももっと早く使えるようになればと。

 

余計なこと申し上げましたが、今日、本当はお願いに来たわけです。いよいよ、JOCのお力を借りて、スポーツ協会の方のお力を借りて、五輪目前であります。あと半年です。ぜひ実現をしたい。今日もですが、見出しをみていると「森が謝った」とか「早く辞めろ」とか、そういう記事がたくさんばかり出ています。こないだまで悪口は山下さんばかりだったんだけど、最近は私か菅さんとどっちが多いかというぐらい悪者になってますね。うちの家内にこの年になって「総理の時は我慢していたけれど、総理の時よりも悪口を言われるということはよっぽど悪いことをしているんですか」と言われるんですが、切り取るところが、悪いんだろうといって女房を説得しているわけです。

端的に言うと、いま出ているニュースは山下さんや私に対するものというのは、結局オリンピックをさせたくないんですよ。オリンピックを失敗したら菅さんに責任を取らせるし、森にも責任を持たせるし、山下さんも。ということを考えている方がスポーツ関係の中にはかなりおられると。スポーツ界、NF、役員構成、理事構成、年齢構成などで必ずトラブルがあるわけですね。長く務めていると、JOCの理事、スポーツ協会の理事、副会長というのは肩書は世間的にはいいですが、そういう意味で長くやられた方は辞めるのが苦痛なんだと思います。ですから私は体協もラグビー協会も本当は、前代未聞のラグビーワールドカップをやったんですから、皆さんがもうちょっと残ってやったらどうかと言ってくれるかなと思っていたが、誰もそうは言ってくれなかった。それでしゃくに障ったんで、九州にいる森(重隆)さんを会長にしたんです。いずれにしてもラグビー協会の会長も早く辞めて、私に名誉顧問や名誉理事くらいと思ってそれもない。いかにラグビー協会は冷厳であるか。

そのラグビー協会もW杯前の19年6月に人事。新聞記者に聞いたら、W杯を目の前に辞めることないんじゃないかと。W杯が終わったら辞めればいいと。当時の会長もそうだとなり、みんなが黙って言えないことになっていたんだと。私はそれで憤慨したんです。自分たちがやりたいがために役員人事を半年延ばすのはもってのほか。私は強く抗議した。ただし、今まで一生懸命に苦労した役員のみなさんにはW杯の試合を全部見られるように手配しなさいと。見事に直前に岡村さんから今の森さんに変わられたと。山下さんからガバナンスコードについて、かなり難しい状況なんじゃないかなと。これもいろいろ聞いていました。同じように理事として頑張った方をどうやってオリンピックの時にと。これは山下さん、理事としてきちんとやってさしあげないとだめだと。

特にこの山下会長は竹田さんから20年ぶりくらいに会長が変わった。これは珍しい。それは竹田さんという大変な崇高なお立場の方でいました。立派な方なので自分で何か意思をおっしゃることはなかった。しかし、周辺が相当気を付けないと、評価されない面がたくさんあったと思う。いろんな不祥事もありました。お金の面で解決したことは1つもなかった。立ちはだかる競技は、橋本聖子さんがやってましたから、追及しにくい雰囲気があった。ですから、橋本さんが常に前面立つべきだという。国会の議員仲間に物が言いにくいということがあったと聞いています。そういう中で山下さんが皆さんの手によってお選びになられた。山下さんを全員で支える。

実を言うと昨日、組織委、JOC、東京都みなさん、国、関係者集まり、自民党本部で関係各位の会議がございました。その最後に山下さんがあいさつした。びっくりした。これが山下さんなんだなと。柔道以上にけれんみがあった。本来、山下さんがあれだけ立派な演説をするとは。みんなそう言っていた。しゃべり方だけではなく、理路整然と1つ1つしっかりした話をされてました。この原稿は籾井さんが作ったのかなと。いろいろ考えましたが、いずれにしてもみんな力を合わせて山下会長を守っているのだと安心しました。しかし、演説をしたのは山下さん。私もいろんな話の間、すばらしい山下さんのリーダーシップ、あらためて、大いに評価をし、これからもオリンピックに向けてしっかり頑張っていただきたいと。ご協力を賜ります。

これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。

私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。

長くなって恐縮です。山下さんが、私に最初にあいさつしろと。こう言うもんですから。私は長くなるよ、と。議事進行にご迷惑になるからと。というよりは私の立場を考えて、何か先にしないと失礼になると事務局は考えたと思う。そういう考えは無用です。ここに来れば、みんな同じなんです。ですから、そういう意味で、誰か偉い人が来たら、すぐさせるとか。特にそういうのは会議の途中でありますから「ただいま、何とか大臣が見えましたので、ごあいさつを」というのがあります。あれ1番、良くないですね。そんなつもりで来てるんじゃない。

今日、私は実際、しゃべりはないと。そう思って。言われなかったから原稿も用意してなかった。急な話ですから昨日一昨日使った、当時使った、この原稿を使ってくださいと。一昨日しゃべったことを何でなんだと。まあ、こういう風にみんなが気をつかってくれることは、ありがたいことでありますが、どうぞ、あんまり気をつかわないで。あんまり気をつかわれたら私もう来ないようにしますから。さっきから事務局の皆さんにも、そう申し上げた。山下さんも出てこられたんで、あなたが私を出迎えにエレベーターへ来られると、全理事にしなきゃいけませんよ、と。それができるんだったらいいが、できないんだったらやめなさいと、さっそく注意した。そういう意味で皆さん、円満にスポーツのことをしっかり考えて。

そして今日、最後にお願い申し上げるのは、オリンピック、ぜひ、どんなことがあってもやります。あまり具体的なことは言えません。これテレビがあるから言えないんですが、まあ、無観客、ということも当然想定しながら、いくつかのシミュレーションをしております。その無観客にもまた、いくらでも細かい部分はあります。要は、外国から来る一般のお客をどうやって水際で防げるかということです。選手、役員、その他関係者はですね、割といい。あとはアプリをみんな持ってもらって。今、認証カードで全部、自分の母国を出た時の写真が東京へ入ってくる。どの会場にも、その写真がいくというようなシステムを今、一生懸命、企業が考えてくれております。

ですから、どんなことあってもこれはやらなきゃなりません。簡単に来年に延ばせばいいとか、フランスに変わってもらえばいいとか、4年後でいいんじゃないかとかですね、そういう無責任なことを言う人たちがスポーツ評論家の中にもあるというのは、何なのかなあと。学問をやっているようだけど神髄がわかってない人たちがある。これを1年延ばして、皆さんに大変ご迷惑を掛けました。特にアスリートの皆さんにご迷惑を掛けた。しかし、これを延ばすことによって今、公表されてますが(追加で)3000億のお金がかかりました。したがって(延期前が)1兆3500億円でしたかな。それが予算が(合計)1兆6500億円まで広がったわけです。これを東京都と私どもが折半します。国が出すのはパラリンピックだけでありますので1500億。これはそのままになります。

したがって、私どもはスポンサーを集めて、お金を集めることはできないわけじゃない。しかし、これをやれば東京都と組織委員会には同額にするという約束になってますから。東京都が、そのお金を出さなきゃいけない。東京都はお金をどこから出すかと言ったら税金から出すしかないわけで。1兆6000億でおきたいんですが。

これをですね、また1年延ばすと簡単におっしゃいますが、選手の管理をやられてるだけでバスを二千数百台、借りているんです。今年1年あるわけでしたが、そのまま据え置いて来年、乗用車が約600台から700台。バス運転手も、その倍います。取っておかないといけません。変な話ですが、築地の跡に車を止めてありますが、そこに運転手がみんな控えるとなりますと、トイレから何から全部、想像を絶するような準備をしなきゃいけない。

ホテル、やっと昨日初めて、担当局長がホテル協会と解決しましたと。キャンセル全部しちゃったわけです。そのキャンセル料を1円も払わずに、また1年延ばして、同じ条件でまたやってくれと。こんな虫のいい要求を私は恥ずかしくてできないんだけど「会長は出ないでください」「あんたが出ると妥協するから」と言われまして。しっかりとした局長が、しっかり言ってました。だから全く昨年と変わらない形でホテルも全部、契約を済ませました。

まあ、そんなこと言い出したら切りがないです。これを全部、国民の皆さんに話してしまえば、だから金がかかるから五輪には反対なんだよ、という、またそういう声が出てくることになります。しかし、今はコロナになっておりますが、原点は東北。震災から始まったこと。熊本、新潟、災害はたくさんあって、そういう災害から立ち上がっている諸君を激励しよう、皆さんを元気づけましょう、ということがオリンピックの最大の目標だったはずです。それをみんな事を忘れて、コロナ、コロナ、コロナだから辞めてしまえと。そうじゃないんだと思います。しかも世界から多くのお見舞いをいただいた。

世界から、たくさんのボランティアが来た。募集した我々が想像した以上に集まってくれた。そしたら組織委が金を払ってやれとか、車代を出せとか、タダなら学徒動員と同じだ、とまで書いた新聞社もあるわけですから。そこまで、やっぱり批判されてきたわけです。1つ1つ、そういうものを挙げたら本当に切りがない話なんです。

ですが、皆さんの真心と各競技団体。そして何と言っても、役員のために、JOCのために、組織委員会のために五輪があるわけではないんです、IOCのためでもないんです。日本のアスリートのためでしょ。アスリートは、この本番でお客さんがいなくてもやりたいと言ったら、やらせてあげるしかないじゃないですか。誰もいなくても、走るだろう。

それを去年の1年前のイベントでご覧になったと思いますが、池江(瑠花子)さんを使って、国立競技場で1人で手を挙げて、トーチを持ってましたよ。大きな広告を全国の新聞に出しました。あの心境なんです。1人でも私は、やります。こんなに体力なくても私はオリンピックを目指します、という感じ。それを国民に見てもらった。だから日本中の国民の皆さんも、あの広告を見て「あ、五輪やるんだな」。そういう思いを皆さんが持っていただいたと思っています。どうぞ、大事な大事なアスリートのために、この五輪を何としても開催するんだ、ということを皆さんもご理解をいただいて、これから極めて難しい時期になりますけど、格別のお力添えをたまわれますように。また日ごろ、皆さん、すべての団体を代表して組織委員会にも多くの皆さんを派遣していただいておりますけども、厚く御礼を申し上げて、以上、長々と申し上げましたが、ちょうど時間になりましたでしょうか。ありがとうございました。どうぞよろしくお願いします。

(以上)

 

 

今の世に繋がる藩校、寺子屋の価値〜第17回全国藩校サミット・山口県萩大会の振り返り〜

皆様、こんにちは。

今日は一昨年、令和元年11月末に山口県萩市で開催された第17回全国藩校サミット萩大会の一コマを振り返り、ご紹介したいと思います。

 

そもそも全国藩校サミットとは、一般社団法人漢字文化振興協会が主体となって、全国の藩校関係者同士の学術文化交流を通じて、漢字文化を後世に伝えていくという基本理念のもと、平成14年から全国各地で開催されるているものです。同協会は平成8年4月から活動を開始していますが、当時会長には三重野康日銀総裁が就任されるなど、その役割、使命の重要性の理解が伺いしれます。

 

明治維新胎動の地、山口・萩で藩校サミットが開催されたのは上記の通り、コロナ禍の騒動の前、令和元年に遡りますが、同大会で、東京大学史料編纂所本郷和人教授が「藩の学びと明治維新」という題目で記念講演をされています。

また機会をみてさらにご紹介したいと思いますが、寺子屋が幕末の安政から慶応にかけての14年間には年間300を超える寺子屋が開業していた、とか全国で16,560軒の寺子屋があったこと、また勉強したこととして、いろは、方角・十二支などから始まり、読み書き算盤、地理、人名、書簡の作成方法など、実生活に必要とされるものを学んだことなども紹介ありました。また藩校についても、諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校で、藩士子弟は強制入学、武芸も奨励、7〜8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14〜15歳から20歳くらいで卒業。教育の内容は、四書(儒学の基本文献。「大学」「中庸」「論語」「孟子」の総称)五経素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸としての剣術等の各種武術などが加わった、との話もありました。

 

山口県は当時ご存知の通り、長州藩でしたが、その藩校は明倫館でした。上記した通り、全国にたくさんあった藩校の中でも、水戸藩弘道館岡山藩閑谷学校と並び、日本の三大学府の一つと称されることもあったとのこと。長州藩は富裕だったこともあり、藩士の教育に熱心であったようです。ただ、藩士の子弟しか入学できなかったため、勉学を志す軽輩の若者は吉田松蔭の松下村塾のような塾、寺子屋に行った、とのことです。

 

いずれにせよ、日本中の幅広い層にわたって勉学の精神が広がっていたことが近代日本の発展に大きく寄与したであろうことは間違いないでしょう。ちなみに、福岡秋月黒田藩(現朝倉市、秋月)には稽古館という藩校がありました。これもまた機会をみてご紹介したいと思います。

 

ちなみに、この時宿泊したのは萩本陣という宿でしたが、とても落ち着いたところで、朝には松陰神社松下村塾にも散歩して行けるくらいの便利のよい場所にあり、食事も温泉も満足で、癒しの時間を過ごさせていただきました。

山口県萩、萩本陣

黒田官兵衛、水五訓その後

こんにちは。

以前こちらのブログで、黒田官兵衛水五訓の紹介をしたことがありました。

 常に己の進路を求めてやまざるは水なり、という訓の紹介もしたことがありました。

 

清濁合わせ飲む、という言葉もありますが、日本人はこういう状況、振る舞いが好きなのではないかと思えます。もしかしたら、最近は変わってきているのかもしれないですが、甘いものも苦いものも、両方あるよ、嘘も真実もともに人間世界ではありうること、否定できない現実として、受け入れて進んでいこうと。

 

自らが進んでいく先に何が待っているのかは、他人にも、そして自分にも分からないものかもしれないですね。予定調和の世界などそもそもないと思いますし、計画、予想したところで、色んな想定外のことが起こりうるのが現実世界でしょう。

 

大事なことは、歩みを止めずに、進んでいこうとする姿勢、求め続ける熱意なのではないでしょうか。そして、その前提として、進んでいこうとする人への思いやり、優しさを持って接することで、逆にそれを受け入れる人にも思いやり、優しさが返ってきて、人の繋がり、絆を強めていく循環が生まれる。そこにこそ、人間が幸せを感じられる根本ではないかと思います。

 

分断、オンライン、という言葉を聞くことが多いご時世ですが、幸せのサイクルを感じあえる世の中にしていきたいと思います。

笑う門には福来る。このような時にこそ。

最近は塩沼亮潤氏の本を読んだり、お話を聞くことが多いのですが、その中に「笑顔をたやさない人には自然と幸福がおとずれます。花を見て怒る人がいないように、笑顔を見て怒る人もいません」と書いてあるのを見ました。

 

「大きな夢や目標に立ち向かっていくときこそ、心が豊かであり、潤っていなければなりません。その心のゆとりがあってはじめて、ものごとが成就いたします。

せっかく皆さんのためにと努力していても、自分だけがつらく苦しいことに耐えているのだという、いかにもつらそうでゆとりのない姿を見ても誰も元気にはなりませんし、人は寄ってきません。どんなに困難をかかえているときでも、常に明るく、軽やかに、そして、のびのびした心でいることです。それが、自分と皆さんの心の幸せにつながることであると思います。」ともあります。

 

笑顔も時と場合により、見る人によっては場違い、不謹慎など、受け止め方に違いがあることもあるでしょう。皆、余裕がなくなってきていると尚更そうかもしれません。

 

でも、政治家や上に立つ人であればあるほど、こういうこと、姿勢を意識して、うまく振る舞えるよう心がける必要があるように思います。よく言われる「高貴な者の責任」(ノーブレス・オブレージ)として、周りの人を幸せな気持ちにさせる雰囲気、というものもあるのではないかと最近はとみに感じます。「あの人は何故か憎めないね」、「まあ大変だけど、あの人がそう言ってるから仕方ない、頑張るか」。そんな空気感を作れないものか、といつも思います。

 

特にアメリカでは「分断」ということが強く言われるようになりました。世界のリーダーとしての振る舞い、あり方として疑問に思われるような事態が多く見られるようにもなっています。他の国から見て、模範にならない、理想とは思えない様相ではないでしょうか。

 

人は、不幸せになろう、不幸せにしてやろうと積極的に思って何かを企むことはそんなに多くはないと信じますし、実際そう思います。例えば、政治家もそうではないでしょうか。でも、結果として多くの国民からそう思われているとすれば、結果責任は政治家の方にあるのではないかとも思います。

 

コロナ禍での緊急事態宣言の再発動、という状況に直面する昨今こそ、難しい環境下、笑顔で力強く、「皆さんと一緒に幸せになるため頑張ろう」と言い切れる政治家やリーダーが望まれます。

 

粘り強く、しなやかに、笑顔も忘れずに過ごしてまいりましょう。