秋月黒田城主のつぶやき

ほんわか、明るく、楽しく、でも凛と生きるための応援歌

秋月黒田と武士道ー「武士道」①概観

皆さん、こんにちは!

 

前回、直近に行った黒田塾のセミナーを受けて、久しぶりにこちらのブログでアップしました。その際、「ふるさと・拠り所」と「武士道」ということをテーマにお話をしたと伝えました。

 

今後、黒田塾で行おうとしていることを皆さんに順次伝えていきたいと思っていますが、今回は「武士道」についてです。武士道については、1回ですませられるほど簡単、単純なものではありませんので、折に触れて扱っていきたいと考えています。

 

これから、「武士道」について、どういったことなのか概観していきたいと思います。前回お伝えしました黒田塾での第1回講演会では、武士道とは「武士階級がその職業、および日常生活で守るべき道。武士の掟、すなわち、高き身分の者に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ)のことである」としています。「武士道」についてはおそらくその定義や解説は山とあると思いますが、私が参照したのは、新渡戸稲造氏が著したまさに『武士道』という本です。

 

新渡戸稲造1862年8月盛岡の生まれで、1933年にカナダで亡くなりました。まさに幕末最後の時代に生まれ、明治時代から昭和時代前期の教育者として有名な人物です。札幌農学校に学び、内村鑑三らとキリスト教に入信しました。当時、欧米に留学の経験もあり、京都帝大、東京帝大の教授、東京女子大学の学長等を歴任。そして大正9年1920年)に国際連盟国際連合の前身)の事務局次長にもなっています。「太平洋の橋」になることを願い、世界平和をとなえたと言われています。(以上、主に「日本人名大辞典」から)

 

その新渡戸氏が1899年、37歳の時に書いたのが、有名な『武士道』です。もともとは英語で書かれたものですが、それを日本語訳にしたものが我々多くが手に取る『武士道』という本になります。原文は以下のような内容で始まります。とても格調の高い英語だと評価もされています。

 

「Chivalry is a flower no less indigenous to the soil of Japan than its emblem, the cherry blossom; nor is it a dried-up specimen of an antique virtue preserved in the herbarium of our history. It is still a living object of power and beauty among us; and if it assumes no tangible shape or form, it not the less scents the moral atmosphere, and makes us aware that we are still under its potent spell.」

 

このChivalryという単語ですが、英語圏では「騎士道」という意味で通っているようですが、新渡戸氏としては、日本の「武士道」というものを海外の人々に紹介し、理解をしてもらおうとしていたわけで、その意味でも、欧米での「騎士道」になぞらえて日本の武士道を説明しようとした意図がわかると思います。

 

さて、この「武士道」について、次回以降で順次紹介していきますが、新渡戸氏の『武士道』を参照しながら、秋月黒田家の活動、活躍を武士道という文脈でお話していきたいと思います。

 

今回はこのあたりで!

(以下、「武士道」関連での書籍ご紹介)

武士道 (岩波文庫)

武士道 新渡戸稲造のことば

2024年第1回黒田塾セミナー開講しました!「日本のよき面影~秋月黒田と武士道・鎧揃えを振り返る~」

皆さん、こんにちは!


大変ご無沙汰をしてしまいました。
これからはできる限りここでの発信も再開していきたいと考えています。よろしくお願いします。

 

新年度、色々な区切りの時期であるこの頃、皆さんは何を思い、何を考え、日々お過ごしですか?

 

私どもは、昨日4月20日(土)に、虎ノ門霞が関ビルにある旧華族会館霞会館で講演会を行ないました。その演題が今回のメルマガの題として書いたものでして、講演会には20数名の方にお越しいただきました。そして講演会の後、霞会館内の食堂にて食事会も行ました。なかなか普通では立ち入ることのできない場所での講演会と和気あいあいとした食事会、楽しんでいただけたように思いました。

 

講演会では、大きく「ふるさと・拠り所」と「武士道」をテーマにお話をしましたが、特に「ふるさと」の部分では、我々のふるさとである秋月(福岡県朝倉市秋月)について、黒田家の歴史のご紹介とともに、地元の名産品として有名な葛(くず)、川茸(かわたけ)そして和紙についての紹介も行いました。

 

そういえば、つい先日、NHKの『ファミリーヒストリー』という番組に、卓球の元日本代表の石川佳純さんのお母様のご祖先が、我が秋月藩で多大な活躍をしていただいた方であったとの紹介がありました。この場を借りて感謝を申し上げたいと思います。人のご縁とはとても不思議なものですね。

 

講演会での話に戻りますが、歴史のあるこれらの名産品を貴重な価値あるものとして地元で維持、発展されていらっしゃる方々3名にも登場していただき、紹介もしていただきました。このような地元の名産品などのご紹介はこれからもどんどん発信していきたいと思っています。

 

地元秋月と東京の会場とをオンライン(Zoom)でつなぎ、肉声、表情も交えての3人のお話はとても臨場感かつ親近感ある雰囲気があったように思います。我々としては初めての試みでしたが、今後もふるさととつないでの活動をさらに発展させてやっていきたいと思いました。

 

講演会では参加者の皆さんにグループに分かれていただき、グループ内でお話をしていただく形にしました。東京や関東圏の方もいれば、それら以外の九州、新潟、大分などそれぞれの「ふるさと」の想いを語っていただきました。中には幼少期に過ごしたアメリカでの思い出が強い、そこにふるさとのような思いがあるといったお話であったり、旅行や旅でいったところに思いや感慨を感じるといったような紹介もありました。

 

「ふるさと」と言えば、まずは日本の原風景ではないですが、山であったり、川であったり、美しい風景などと結び付くことが多いように思いますが、ニューヨークの高層ビルを見ると落ち着く、良いなって思えるというようなお話もあり、必ずしも日本のいわゆる「原風景」のようなものとも限らないなという風にも思いました。

 

もともと、講演会の中では、自分にとっての「ふるさと」、あるいは「拠り所」という言い方でお話をし、皆さんにも問いかけを行なったのですが、「ふるさと」が持つ意味や価値はどんなものなのか、あらためて考えてみたいと思ったのがこのテーマ設定の理由なのですね。

 

最近の世の中、世界は、従来以上に不透明な、激動の時代の中にあるように思いますし、価値観もゆらゆらと揺れて変化していっているように感じます。こういったこと自体はおそらくどの時代にもある、あったようには思うのですが、近年は特に強まっているのではないかと思うのです。

 

そういった中で、我々は何か「寄って立つ」ところや場所のようなものがあれば、不安な気持ちがすこしは和らぐのではないか、だからそういったものを考えてみることで、自分を強く持てる、少なくとも不安な時間を少なくしていけるヒントが得られるのではないかと思っているのです。

 

秋月の地元の方から、「ふるさととは『変わらないもの』」というお話をいただいたのが個人的にはとても印象的でした。

 

時代的には「変わる」ことが求められていますし、そういった観点でのお話の流れが多いように思いますが、そういう時代や環境だからこそ「変わらないもの」を知っている、理解している人が持つ強さや芯の強さを感じましたし、さらには穏やかで豊かな時間を過ごせていらっしゃるのではないかと思いました。

 

ありきたりの点ではありますが、物質的な豊かさや華やかさ、エンターテインメントの豊富さ、便利で効率的な環境に住んでいると、日本はもっともっと奥深く、多様であるということを見逃してしまいます。

 

私自身、秋月に20年以上前あたりから年に最低2回、春・秋には必ず帰っていましたし、多い時には月に1度は帰るような生活になっています。さらにはご縁も重なり山口県美祢市の方に古民家を持つようになって、特に「日本の地方の持つ美しさ」「人々の優しさ」に触れる機会がたくさんあります。

 

東京にいると気づかない、気づけない、「時の流れの優雅さ」や日本というこの素晴らしい国を地方が支えているという強い実感を持つにいたるようになりました。これこそ、地「宝」(ちほう=地のたから)だ!と思います。

 

こういったことを多くの人に伝えたい。この素晴らしい日本の優しさ、自然や人々の優しさと多様性が、実は日本の「強さ」でもあり、これが国際社会での日本が果たす役割や貢献の源泉となるのではないか。私の今の活動や発想のモチベーションや想いはそこにあります。

 

というようなことを考えていると、一日、一日を大切に生きていきたいなと強く思います。そして、また皆さんとの出会いを楽しみにしていきたいと思ったこの週末でした。

 

今回は第1回目のセミナーでしたが、第2回目から第5回目まで、秋月現地での体験ツアーなどを含めて、日本の良さ、日本が持つ豊かで多様性に基づいた平和への貢献を世界にもアピールできるのではないか、といった問題意識についても、発信していきます。

 

ダイアログK合同会社という会社でもイベントのご紹介をしていきますので、引き続きよろしくお願いします。(ダイアログK合同会社 (dialogue-k.co.jp)

 

【城主はこう考えるシリーズ】ロシア民間軍事会社ワグネルによる「プーチン」への「反乱」?

皆さん、こんにちは。

蒸し暑い日が続きますね。まだまだ梅雨明けはしていませんので、降ったりやんだり、暑くなったりという不安定な日が続くかもしれません。くれぐれもご自愛ください。

 

さて、今回はまた趣向を変えて、「こう考えるシリーズ」としてみました。世の中で起こっていること等を、仮説、勝手な想像を含めて簡単に解説、問題提起してみる試みです。新聞やメディアによる報道に接して、まずどんな風にその情報を受け止め、想像を膨らませて考えていくかを紹介してみたいと思います。

 

この際、正しいかどうかは「強く」意識しないことにしますし、いわゆるなかなか手に入れることの難しい「インテリジェンス」情報なども意識せず、新聞やインターネットにあがってくる玉石混交の情報をどう料理するかで考えてみたいと思っています。

 

初回はまさにロシアでの昨日、今日の出来事として、ロシアの民間軍事会社ワグネルという組織がロシアで「反乱」を起こしたという報道がありました。ロシアによるウクライナ侵攻において戦力不足を補う役割も果たしてきたワグネルという会社。この動きに関して、少々長くなりますが、お付き合いください。

 

このワグネルの創設者エフゲニー・プリゴージン氏がロシア国内での「武装蜂起」を宣言したと報道されていました。

ロシア民間軍事会社ワグネル創設者エフゲニー・プリゴージン氏(写真:ロイター/アフロ)

場所はロシア南部、ウクライナ国境にも近いロストフ州の州都ロストフナドヌーに入ったとプリコジン氏が表明。さらにそのロストフから北上し、リペツク州に到達、さらにはモスクワを目指すとも報道されていました。

 

その後、今日になってロシア大統領府から「プリゴージン氏とワグネル部隊のモスクワへの進軍中止を合意した」と発表がありました。さらにプリゴージン氏はロシアの隣国ベラルーシに出国できるよう、プーチン大統領ベラルーシ・ルカシェンコ大統領とも話をし、身の安全を保証した、とも報道されています。

ロシア、プーチン大統領

ベラルーシ、ルカシェンコ大統領

これら一連の報道の中で、「国家分裂に(プーチンが)危機感」、「ロシアによるウクライナ侵攻に影響も」などのキーワードが出てきています。

 

さて、これらの情報からどんな風にこの事態の「意味」が捉えられるのでしょうか。

 

先に仮説の結論をお伝えすると、

  • 今回の件はグローバルの文脈でみると、欧米(米英等)の負け、プーチン大統領の勝ち
  • 国内ではプリゴージン氏がプーチン大統領の取り巻きの保守派との権力闘争に負け、国外に逃れることになった
  • 今後、欧米はさらに今回の「反乱」を使い続けプーチン大統領への揺さぶり攻勢をかけ続ける。
  • ロシア国内のプーチン大統領「取り巻き」の保守派、そして欧米(特に米国)の関係機関等によって、このウクライナ侵攻収束を巡っての「落しどころ」を探る動きが活発化していく。

といったことが仮説としてあげられるかもしれないと考えてみました。正しいかどうかは今後の進展等が明らかにしてくれるでしょう。

 

まずこのプリゴージン氏がどんな人物なのかについて、報道では「プーチンの料理人」の異名を持つとありました。もともと、プリゴージン氏自身が窃盗や詐欺で服役した過去の経歴があるものの、その後1990年代にサンクトペテルブルグで高級レストレンの事業を開始、プーチン氏がそのレストレンに訪れるようになったとあります。ワグネルとなっていく組織を作ったのが2014年、当時、ロシアによるウクライナ東部紛争、クリミア侵攻・制圧などに参加するなど、政権と持ちつ持たれつの関係が続きます。

 

これらの民間軍事会社でのプリゴージン氏の活動はプーチン大統領との直接の関係での話であり、当然、ロシアの正規軍、軍幹部にとっては統制が効かない、反発に発展しかねないことになります。ショイグ国防相、ゲラシモフ参謀総長などの名前も報道であがっていますが、これらを巡る対立が激化して、今回の事態に陥ったのだろうと予想できます。ただでさえ、ロシアによるウクライナ侵攻が予想以上の長期化を強いられていて、ロシア国防軍のメンツが立っていない状況です。

ロシア、ショイグ国防相

ロシア、ゲラシモフ参謀総長

プリゴージン氏もロシア軍幹部を、2022年2月のウクライナ侵攻に関して、ウクライナ側が攻撃をしかけてくるとの偽情報で侵攻開始を正当化して自らの利益としてきたと批判しています。この情報の真偽は検証が難しいですが、プーチン大統領というとても合理的かつ計算づくの人物がなぜウクライナ侵攻を開始したのかの一つの理由、背景を示唆するとも考えられそうですね。

 

もう一歩視点をロシア国内から外に向けてみましょう。

 

この侵攻で誰が利益を得ているのか? 

中国、でしょうか?インド、でしょうか?それとも米国、でしょうか?。。。と。

詳しくは説明しませんが、案外論理的に考えていくと明らかな部分があるように感じます。残念ながら、「もうそろそろ(利益を得すぎもまずいので)いいのではないか?」という考え自体が出てきても物事の見方が多面的になるかもしれません。これは一つの仮説です。

 

プリゴージン氏には「ウクライナの情報機関が接触していたとの情報もある」との報道もあります。ここから先は直近の報道では出ていませんが、歴史を振り返ると、ウクライナの背後には米国を中心とした欧米が存在し強く影響しています。

アメリカ合衆国、バイデン大統領

西側、反ロシアの立場からすると、プリゴージン氏が反乱の動きで頑張ってくれることに利益がありました。ただ、もう少し頑張って北上しモスクワに近づいてくれると踏んでいたとすれば、思いのほか早く中止の合意に至ったという印象かもしれません。

 

さらには、かつてプーチン大統領に叛旗を翻したオリガルヒ(財閥)は多くが英国(ロンドン)に出国していましたが、プリゴージン氏は結局ロシアの影響圏にあるベラルーシに出国する流れになっています。西側からすると自分たちの影響圏には置いていないことになります。余談になりますが、今後はプリゴージン氏の生存確認(不審死等がないかなど)が注目点の一つかもしれません。

 

プーチン大統領は今回のワグネルの反乱について「裏切りは処罰する」と緊急のテレビ演説で述べていましたが、この点は報道されている情報だけを見る限り、プリゴージン氏とベラルーシのルカシェンコ大統領との旧知の関係性と、ロシアによるベラルーシへの核兵器配置との駆け引きでプーチン大統領がルカシェンコ大統領に借りを一部返した形になったのかもしれません。

 

あるいは、プーチン大統領自身は表向きの処罰の話とは異なり、プリゴージン氏とはそれなりの関係を維持しているため、急進派、保守派からの「突き上げ」に対して、プリゴージン氏をロシア国内ではなくベラルーシに出国させることができたということで、プーチン大統領の力がまだ保守派よりも上回っていることを示す一つの証拠になるのかもしれません。ただ、いずれにしても、ロシア国内での「反乱」を望む存在はロシア国内外にそれなりにありそうですね。

 

最近になり、米国等欧米の外交雑誌でロシアによるウクライナ侵攻の和平を目指すような論稿、米国で有名なシンクタンクランド研究所等)も和平を選択肢とするような論文などを発表するようになってきている印象があります。これは米国の政権がそのような情報を意図して流してきていると見ることもできるかもしれません。

 

ロシア大統領選挙は予定通りであれば来年2024年3月、そして米国大統領選挙は同じく来年2024年11月に行われます。これらの政治日程などをにらみながら、来年初までの関係者、関係各国の動きにますます注意が必要となってきそうです。

 

さて、最後に、今回のようにロシアについて「多面的、多角的な物の見方」「中長期の歴史的視点も踏まえながら考えてみる姿勢」に役立ちそうな本を以下にご紹介します。関心がおありでしたらどうぞ手に取ってみてください。

 

【歴史的な視点や力学から欧米とソ連・ロシアとの関係を眺める】

地政学と冷戦で読み解く戦後世界史

 

【米露という大国における諜報活動に関する記録】

米露諜報秘録1945-2020:冷戦からプーチンの謀略まで

 

【ロシア・プーチン大統領理解のための一つの教科書的本】

プーチンの世界

 

【ワグネルに関する数少ない本。ウクライナ、シリアでの実戦に身を置いた元指揮官による手記】

ワグネル プーチンの秘密軍隊

 

【米国バイデン大統領の自伝。プーチン大統領との面会の様子が興味深い】

約束してくれないか、父さん 希望、苦難、そして決意の日々

 

佐藤優氏による地政学についての考え方を授業で丁寧に教えてもらう内容】

現代の地政学 (犀の教室)

 

ウクライナ出身のユダヤ歴史学者によるロシアの20世紀の歴史を一年ごと丁寧に説明。ロシア民族の歴史的な文脈などの理解もすすむ】

ロシアの二〇世紀 〔100の歴史の旅〕

 

山川出版社から読みやすい文章のタッチであらためてロシア史を学べる書。上下2巻。近代ロシア史、ソビエト連邦氏が専門の和田春樹氏による編。】

ロシア史 上 (YAMAKAWA SELECTION)

 

 

ロシア史 下 (YAMAKAWA SELECTION)

 

 

藩校シリーズ ー 秋田に赴く【明徳館】

皆さん、こんにちは。

蒸し暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか。

 

さて、今回は先日とある学会の総会で秋田県秋田市に伺ったのですが、秋田の藩校といえば、「明徳館」ということで、簡単に報告したいと思います。

 

(「秋田の歴史 改訂版」から)

秋田 藩校明徳館跡 史跡

 

秋田明徳館は久保田藩の第9代藩主佐竹義和公が開いた藩校とのこと。その創設は寛政元年(1789年)で、1792年に開講、1793年に明道館と命名、1811年に明徳館と改称し、教学の最盛期を迎えたとあります。(「国史大辞典」から)

 

明徳館では国学が早くから教授され勤王活動の一翼をなしたとのことです(同上)。

ちなみに、国学とは、江戸中期に興った、文献学的方法による古事記日本書紀万葉集などの古典研究の学問のことで、儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたものですね。漢学に対してのもので、本居宣長などによって確立された学問です。(「デジタル大辞泉」から)少し難しくなってしまいました。。

 

この明徳館の教育方針で特筆すべきものとしては、知識の詰め込み、教授からの一方通行の教えではなく、議論をして持論を組み立て、作っていくことを重んじたところにあったとのことです。(「秋田藩」研究ノート、から)

 

ところで、秋田のこの藩名が「久保田」というのは個人的に不勉強で今回うかがって初めて認識しました。。。幕末における正式な藩名は久保田で、明治4年1871年)にこれを秋田と改めたようです。

 

ちなみに、秋田出身で有名な方はたくさんいらっしゃいますが、私がぱっと思い出したのは脚本家、作家の内館牧子さん(1993年~94年にNHK連続テレビ小説『ひらり』の原作の著作等多数)がいらっしゃいますね。

ひらり(1) (講談社文庫)

ひらり(2) (講談社文庫)

ひらり(3) (講談社文庫)

ひらり(4) (講談社文庫)

 

また、お米はあきたこまち!ですね。大潟村に近い五城目町にも立ち寄りましたが、緑がきれいで、朝市なども開かれているようで、とても空気の美味しいところでした。

また、同じく五城目にある酒蔵の福禄壽さんにも伺って、見学させていただきました。

志をもって酒造りに向き合っていらっしゃるお話を伺えて、とても勉強にもなりました。

 

今回の滞在中に美味しくご飯をいただきましたが、お酒は次の機会に取っておきました。

 

全国の藩校がある土地に寄った際にはこのようにブログを上げていきたいと思います。

それでは今回はこれくらいにしたいと思います。

 

福岡でのご縁と本の出会いー『夕暮れに夜明けの歌を』

 

皆さま、こんにちは。

 

今回は今までとは少し趣向を変えて、ご縁、本との出会いについてお話したいと思います。

 

今年が秋月黒田の藩が成立してから400年の節目の年であることは少し前からご紹介してきました。その関連で、昨日、福岡県朝倉市秋月にて、野点(のだて)のお茶会があり、そこに呼ばれて参加をしてきました。

 

野点というのは、普通お茶席でイメージされるクローズドのお茶室とは異なり、自然の下で、茶室を見立てた竹の枠組みに入り、お茶をいただく、カジュアルなお茶会でした。

 

このお話も、藩校の話や今年の11月12日に秋月で行われる鎧揃え(武者行列)とともに別途ご紹介していきたいのですが、今回は、その際、福岡・博多で出会った本のことをお伝えしたいのです。

 

たまたま、つい先日、ロシアによるウクライナ侵攻を一つの題材にしたリスクマネジメントについてのセミナーでお話をする機会を得たのをきっかけに、自分とロシアとの出会いや関係を振り返る時間を得ました。1993年夏から1年弱でしたが、ロシアのサンクトペテルブルクに語学の研修に参加してロシア語の勉強をしたこと、その後モスクワでの駐在員経験などを経て、あらためて自分にとってのロシア、ウクライナはなんだったのか?を考えるようになりました。

 

今の事態に関してロシア(プーチン大統領)の行動を正当化することはできない、難しいのはそうですが、自分が付き合ってきたロシアの市井の方々、ウクライナの人々、を思い出すにつけ、この戦争は一体何を我々に突き付けているのか。そんなことなどを考えるようになりました。今の国際的な、そして日本での戦争をめぐる報道のあり方にすごく疑問を抱いていた中で、今の状況をどういう言葉で語るのが自分にとって自然なのか、をずっと考えるようになっていたのです。

 

そんな流れで、福岡県に来る機会を得て、時間の合間を縫って本屋に飛び込み、ロシアの自然についての描写を読んでみたいと思い、ミハイル・ショーロフの『静かなドン』を読んでみたいと捜したのですが、在庫ゼロ。本屋の中をあちこちを見て回ったのですが、なく、時間もないので本屋を出て秋月に向かおうとして、たまたまロシア文学の棚の一部にあったのが、奈倉有里さんの『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』(イースト・プレス)です。

 

夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く

 

これは何かが起こるかもしれないと思い、ほぼ即決で手に取って本屋を後にしました。

そしてその後、移動時間などの隙間時間でしたが、ページをめくる先からぐいぐいと本の中の世界に引き込まれていき、あっと言う間に読み終えてしまいました。

 

ネタバレをしたくないので、でも是非、是非、手に取ってお読みいただきたいです。

 

個人的には、ロシア、サンクトペテルブルク、モスクワなどなど、私とは勉強の深さ、質、意気込みは圧倒的に違いますが、でも文章から流れ出るロシアの香りが思い出されます。

そして、この本では、市井(といっても大学という枠ではありますが)のロシア、そしてウクライナや、ベラルーシといった、我々のメディアで文字や映像では「単語」としてしか出てこない情報を、生の人のこととして表現されています。

 

内容は最後まで読み進めていくと、「あっ!」と思わせられる展開自体もさることながら、この奈倉さんが使う言葉の一つ一つが魔法のように読む人の中に、染み入ってくる感じです。言葉の使い方、表現がうーんと唸らせられるとともに、ロシア人であろうが、ウクライナ人であろうが、どこの人であろうが、真剣に生きる人の生き様は読む我々の心を打つものがあるように感じます。自然と涙があふれるような、そんな気がします。

 

ロシアの小説や詩の作家の名前がたくさん出てくるのですが、それはあまり気にせずに読んでいかれることをお勧めします。

 

最後に、ネタバレをしたくないと言いつつ、あとがきの部分にあった表現をご紹介したいと思います。

 

「人には言葉を学ぶ権利があり、その言葉を用いて世界のどこの人とでも対話をする可能性を持って生きている。しかし私たちは与えられたその膨大な機会のなかで、どうしたら「人と人を分断する」言葉ではなく「つなぐ」言葉を選んでいけるのかーその判断は、それぞれの言葉がいかなる文脈のなかで用いられてきたかを学ぶことなしには下すことができない。

 

文学の存在意義さえわからない政治家や批評家もどきが世界中で文学を軽視しはじめる時代というものがある。おかしいくらいに歴史のなかで繰り返されてきた現象なのに、さも新しいことをいうかのように文学不要論を披露する彼らは、本を丁寧に読まないがゆえに知らないのだーこれまでいかに彼らとよく似た滑稽な人物が世界じゅうの文学作品に描かれてきたのかも、どれほど陳腐な主張をしているのかも。

 

(中略)

文学が記号のままではなく人の思考に近づくために、これまで世界中の人々がそれぞれに想像を絶するような困難をくぐり抜けて、いま文学作品と呼ばれている本の数々を産み出してきた。だから文学が歩んできた道は人と人との文脈をつなぐための足跡であり、記号から思考へと続く光でもある。もしいま世界にその光が見えなくなっている人が多いのであれば、それは文学が不要なためではなく、決定的に不足している証拠である。

 

今世界で記号を文脈へとつなごうとしているすべての光に、そして、ある場所で生まれた光をもうひとつの別の場所に移し灯そうとしているすべての思考と尽力に、心からの敬意を込めて。」

 

お勧めしたいです。

 

藩校の精神が今に活きる(No.1)ー 秋月黒田の藩校「稽古館」

皆さん、こんにちは。

 

前回は今年、2023年が秋月黒田の藩が成立してから400周年に当たる大切な年であることを紹介しました。

 

しばらく秋月のことについてお付き合いください。

私からみて秋月の宝として挙げられるもの、それは秋月に住む皆さんであり、その歴史を営々と作り続けてきた伝統や歴史の時間ではないかと思います。

 

そんな中で、秋月の人たちの教育において藩校、稽古館が持つ意義はとても大きいものがあったと考えられます。

 

ところでこの「稽古館」、江戸の同じような時代に他のいくつかの藩でも同名の藩校が存在しています。例えば、島原、弘前彦根などでも「稽古館」として活動していたようです。秋月の稽古館は、もともと1775年に「稽古亭」として設立されていたものを「稽古館」として名前を変えて存続させていたものです。

 

それでは続きは次回、もう少し秋月の稽古館のことを紹介していきます。

乞うご期待です。

本年、立藩400年を迎える秋月黒田藩

皆さん、こんにちは。

 

さきほど気づいたのですが、前回ここでつぶやいたのが何とかれこれ1年も前だったことに。。。ロシアによるウクライナ侵攻の後につぶやいていたのですが、その後つぶやかずに今に至っていました。

 

時が流れるのが早いこと、早いこと。そして、それ以上にずっと気にはなっていたのですが、ここでつぶやくことから遠のいていたのを気にしつつ今まで過ごしてきました。

 

これからはもっと気楽に、自分の思いもそうですし、見たこと、聞いたこと、体験したことなど、つぶやき、発信していきたいと思います。

 

タイトルに戻るのですが、1623年に黒田長興(ながおき)公が今の朝倉市秋月の地で秋月黒田の藩を成立させて今年がちょうど400年という節目に当たります。

 

朝倉市を中心に色々な行事や活動が催されていくのではないかと思いますが、さらに多くの皆さんに活動が広がりを見せていくことを期待したいと思います。そして、これからも多くの方が幸せに生活されるように祈念しています。

 

私は秋月の地にまだまだ埋もれている良さを探し出すお手伝い、「地『宝』(ちほう)再生ナビゲーター」として今後も活動していきたいと思っています。