秋月黒田城主のつぶやき

ほんわか、明るく、楽しく、でも凛と生きるための応援歌

令和三年 新年を迎えて 大峯千日回峰行者・塩沼亮潤住職のお言葉

皆様、新年おめでとうございます。

本年も何卒宜しくお願いします。

 

昨年はもう言うまでもなく、コロナ禍のことが話題からなくなることのない一年でした。直近の動向などを見る限り、ワクチン接種が始まっていくものの、当面この情勢は変わらないと思っていた方がよさそうです。そのような中、大晦日の恒例の紅白歌合戦もそうですが、歌という人に勇気、元気を与える行いを通じて、この世の中、まだまだ捨てたものではない、頑張っていこうと思える瞬間もあろうかと思います。大きな変化がない日常の中で、いかに自分の心の持ち方をうまく整えられるかが大切なのではないでしょうか。

 

最近、大峯千日回峰行者である、大阿闍梨、塩沼亮潤氏の本を読みました。詳しいお話は是非塩沼氏の著書などをお読みいただきたいのですが、この大峯千日回峰行とは、奈良県吉野山金峯山寺蔵王堂から大峯山と呼ばれる山上ヶ岳までの往復48キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて一日で往復し、合計四万八千キロを歩き続ける、足掛け九年に及ぶ長く厳しい修行のことです。この行を、平成11年に吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる満行を果たされた方です。塩沼氏の著書の中で以下のフレーズに出会いました。

 

修行中、525日目の日誌の言葉です。そのまま引用します。

「人の心は誰でも幸せになれると思います。

しかし、そこに至るまでが四苦八苦です。

心の持ち方次第で幸せにもなるし、不幸にもなります。

答えは心の中にあります。

決して逃げないで、くじけないで、

死んだ方がいいなんて思ってはいけない。死んだら終わりです。

人生の春夏秋冬、辛抱していれば、必ず春は来る。

卑屈にならず、苦しみから逃れず、受け止めて乗り越える。

そう。種を植えて、一日で咲いた花はありません。

うしろを振り向くより、いまを強く、しなやかに、辛抱することです。」

 

人それぞれの人生、境遇があり、様々なレベルでの局面での自分自身の境遇の受け止め方には違いもあるでしょう。なんとか心の持ちようをより良い方に向かわせられないものかと、私自身も日々悩みつつ生きていきたい、そんなことを共有できればと願っています。

本年も何卒宜しくお願いします。

 

憲政の神様

皆様、こんにちは。

コロナ禍の動向がまだまだ不透明な状況ですが、いかがお過ごしですか?

 

仕事の進め方のスタイルもリモート、在宅勤務、田舎に引っ越してのオンラインでの勤務など、一気に選択の幅が広がり、新生活様式、という風にも言われています。

 

コトバ(言葉)と、コトバにならない思い、想い、気持ち、心の動き、沈黙の持つ意味など、コミュニケーションは難しいけれど、だからこそ人間は面白いなと感じることが多く、コトバと非コトバについて考えることが多い今日この頃です。

 

林 新・堀川恵子 『狼の義 新 犬養木堂伝』(角川書店、2019年)を読み終えました。犬養毅のことを描いたノンフィクションですが、明治時代から満洲事変あたりまでを中心に憲政、政党政治、そして戦争への道に流れ込む激動の時代を、犬養毅とは別の人物を通じて語るように描かれていて、読む人を惹き込んでいく筆力がすごいなと思いながら、一気に読み進めました。実はこの本は、半ば偶然、半分必然的とも言える流れで辿り着きました。

 

先ほど最近コトバ、あるいは非コトバについて考えることが多いと言いましたが、色々と考えている時に、本当に、ポーンと、犬養毅のことが浮かび上がりました。話せばわかる、とか、問答無用とか、そういうやりとりが知られるところがありますが、現実がどうだったかはともかく、コトバを介しての何らかの人間ドラマがあるに違いないと思ったのです。知っているようで、実はあまり知らない犬養毅について、何かないか、と探している時に、堀川恵子さんのこの本に辿り着いたのです。今まで堀川恵子さんの本はその他の本を含めて複数読んでいたのもあり、すぐに手に取りました。

 

法律や政治について学んでいると、よく、人権、民主主義は闘いを経て獲得された長い歴史があると聞きます。この本からは、犬養毅や同時代の政治家、メディアの方々がそれこそ命懸けで、進歩、退歩、膠着を繰り返しながら、闘いを通じ、幾多の挫折もへながら、実現してきた現実が理解できます。そして戦争への道も描かれています。普通一般の教科書で数行で記述されることが、実は数行では説明し切れない奥深い背景が隠されています。

 

その面でのドラマもとても重く面白いのですが、一方で私が興味を覚えたのが、人の沈黙の力、ということのように思います。様々な場面で、様々な人物の沈黙があり、政治やその他の意思決定の場で、時には主役の位置を占める働きをなすことがある。その沈黙の意味を汲み取る力も試されているように思いました。そこの描写もあって、人間のドラマが一つの完成形になるとでも言えるように感じたのです。

 

さて、オンライン、リモートでのコミュニケーションはどうでしょうか。

人間にとって大切なコトバは、非コトバとともにあって、高度な観察力や温度感など複雑な要素を持つもののように考えます。

 

憲政の神様の本を通じて、色々と考えさせられる日々が続きます。

政治家の方々にも読んでいただきたい一冊だと感じました。

 

コロナウィルスー人類の叡智と心穏やかな日々を過ごす

皆さま、こんにちは。

 

最近の気候の変化、花粉症の始まりなどから、世の騒動とは関わりなく、季節の移り変わりは、何の途切れもばたばたもなく、粛々と進んでいるのだなと実感します。街を見渡してみても、桜の開花、蕾の膨らみからもそれらを伺い知ることができます。

 

コロナウィルスに関連して様々な騒動、企業や人々の行動への影響、株価への影響などが毎日のように報道されています。もちろん、単純なことではないことは承知の上で、手洗い、うがい、マスクなど、自分たちでできることはするという意識が大切なのでしょう。また、危機管理の基本原則ですが、「いてはならない場所、時間帯にいないこと、近づかないこと」という基本動作も踏まえる必要があるかと思います。

 

コロナウィルスの騒動が取り沙汰されるようになってから思い出されることがあります。秋月黒田藩の藩医であった緒方春朔が、天然痘に対する予防接種である人痘種痘法という方法を1790年、我が国で初めて成功させ、全国に広めた、ということです。この方法は、別に有名なジェンナーの牛痘種痘法とは異なる手法のようですが、緒方春朔の成功はこのジェンナーの成功より6年早いということで、その偉業が称えられています。天然痘は紀元前より、伝染力が強く死に至る疫病として人々から恐れられていたようですが、緒方春朔、ジェンナーを始めとした人類の叡智により、種痘の普及で発生数は減少し、WHOが1980年5月に世界根絶宣言を行なっています。

 

人類の歴史を振り返ってみる余裕は、気ぜわしい日常ではなかなか持てないかもしれません。ただ、株価、バブルもそうですし、ウィルスの話も、歴史は人ごとでもあり、繰り返すものですね。悪い局面もあれば、緒方春朔のような叡智が出て、解決策の提示があり、良い局面に流れていく。社会が複雑にもなり、管理面で色々な思惑等あり、悪意を持った人物、グループなども現れても、人類の賢い叡智にも期待しつつ、桜の美しさ、儚さを愛でる、穏やかな心持ちで日々を過ごしていきたいものです。

新年おめでとうございます

皆さま、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 

昨年も色々なことがありました。平成が終わり、新しい元号、令和の時代に移り変わりました。いつも思うことですが、時代が移り変わる中にあっても、人として、人間として守るべき事柄、大切にしたい誠は大きく変わらない。そう思います。

 

日本には従来から学びを大切にする環境、風土があります。寺子屋、藩校などなど。先日も山口県萩の明倫館、松下村塾に行ってきました。江戸時代には各藩には藩校がありました。福岡県朝倉市秋月にも、稽古館がありました。

 

人材育成は人財育成であり、地方再生は地域の宝を再発見する『地宝再生』です。大きく構えなくとも、例えば、それぞれの地元にある歴史を紐解きながら、その土地ならではの物語を蘇らせ、色々な物、事柄とくっつけていく。それを発信していく。

 

そういう活動を地道に進めていくことがそれぞれの豊かな人生の時間となっていくと思います。そのような活動をしていきたいと考えています。

 

本年も皆さまにとって善い年でありますように。良い年にしていきたいですね。

昔あって今ないもの

皆さま

 

こんにちは。

いきなりなぞなぞやとんちのような話ですが、とある講演集になるほどと思わせられる話がありましたので、紹介したいと思います。

 

生け花(その方はいけはな、とおっしゃっています)の家元の方が、家元を継がれるに際して何を考えられたかから始まり、いけはなとは何か、日本文化とは、道とは、和とはなどなど、とても興味深く、示唆に富むお話でした。私の関心と重なり合う部分も多く、当主とは何か、武家とはどういった存在だったか、武士道とはなど、考えるところでもありますので、あらためて話を進めていきたいと思います。

 

今日はその中でも一つ、お題に戻りますが、「昔あって今ないもの」。

その家元が別の方とお話されている時に、そのお相手の方が、「昔あって今ないものは『畏れ』と『憧れ』ではないでしょうか。」と言われた。その家元が、「今、私たちは畏れをあまり感じません。偉大なるものに畏れを感じる心、雲上の人々に対する憧れの心があって初めて品がよいものが生まれるということです」と言われたのは、なるほどと思いました。

 

台風、洪水、大豪雨、大震災があって、我々はなすすべもなく、無力を実感します。その後、多くの人々の善意、好意などあり、ボランティアの活動などとても素晴らしいことだと思います。そういったお話を聞くと、そこに何か、社会をよくしていこう、支え合っていこうという意識、善の可能性を見い出すことができるかもしれません。私自身はなかなかそこまでできないのも事実です。

 

ただあえて言えば、何ものかに対する畏れ、敬意を、受け身でなく、より積極的に意識することで日々の心持ち、自然や周りの環境に対する接し方も変わり、引いては社会全体で守っていこうという動きにつながっていくのではないか、と考えています。

 

その為には具体的には何があるのか、できるのか。先人たちの知恵、まだまだ全国にたくさん眠っているであろう古文書にも、その解、ヒントがあるのではと思う今日この頃です。

今年の仕事始め

皆さま

 

こんばんは。

 

今日は今年の仕事始めと言われていますが、まだ本格始動ではなく、来週明けからの方が多いかもしれません。一方で、年末年始関係なくお仕事があった方もいらっしゃるでしょう。

 

今年こそ、短くてもいいから、発信の頻度を上げていきたいと思っています。

 

街中を歩きながら、日本の良さとは何かと考えていました。

四季があること、節目節目の行事、言葉、語感の響き、挨拶の交わし、礼儀、整理整頓、謙譲、伝統文化などなど。

 

新しいものを取り入れることが明治の開国以来、発展のため必要であったと思いますが、明治時代に日本に来日した外国人の多くが、日本の良さ、日本人の素晴らしさを残して欲しいと語っています。

 

今年はそういったことをあらためて見つめて、話題に挙げていきたいと思います。

 

 

 

 

2019年の新年を迎えて

皆さま

 

新年明けましておめでとうございます。

 

毎年毎年、年末年始を迎える実感が薄れてきてるかな、と思うのですが、その時を迎えてみると、それはそれで新たな気持ちになれるのも事実ですね。

 

最近思うのですが、人生いいことばかりでもなく、また逆に悪いことばかりでもなく、心や気持ちの持ちようをいかに自分らしく形創っていくかが自分の人生ではないかと思うのです。まだまだ見えていない、実感できていない言の葉、言葉を追い求めて、自分の言葉として語れるようになりたいと思います。

 

昨年12月にはある中学校の校長先生、先生との想いが合致して、生徒さんたちとの交流が実現しました。そこに至るまでの様々なご縁に感謝しつつ、その時をとても楽しく過ごさせていただきました。あらためて感謝申し上げます。

 

もちろん自分だけで生きると考えることはできますし、自立していくことも大切ですが、他の人とともに生きている実感を持てることが自分を強くさせる糧となり、より明るい社会に繋がっていけるのではないかと強く思います。そういうことをもっと意識して、自分なりに活動していくつもりです。

 

本年もよろしくお願いします。