秋月黒田城主のつぶやき

ほんわか、明るく、楽しく、でも凛と生きるための応援歌

【第18回藩校サミット壬生大会に参加して(2)】論語と今の生活と

皆様、こんにちは。お変わりありませんか。

年末に向けて、少しずつですが、コロナ禍前には普通であった、日本の年末の何とも言えない喧騒、わさわさした気分を今年は感じられるようになってきたかと思います。
 
さて、前回は先週末に栃木県壬生町で開催された第18回藩校サミット壬生大会に参加してきたことなどを書きました。会場では地域の特産品、食品などの物産の紹介もあり、賑わっていました。地産地消とも言いますが、さらに盛り上がって、維持発展していただければと思いました。
 
今日は前回に続けて、サミットのプログラムの中で私が特に感心したものを紹介したいと思います。もちろん他にも素晴らしいものがたくさんありましたが、子ども文化活動というものの中で「みぶ論語青少年の主張」というもので、壬生町内の小中学生3名による作文発表が素晴らしいと思いました。
 
藩校サミット壬生大会の開催パンフレットに以下のような紹介がありました。
「『壬生論語』の意味をさらに深く理解するとともに、論語を通して現代社会や日常の生活、また自身の生き方を学び、より良い社会づくりに貢献できることを目指すということを目的として、町内の児童・生徒、一般町民を対象に「壬生論語青少年・町民の主張作文コンクール並びに発表大会を行いました。
応募総数は1522作品に上り、最終選考に残った3名による作文発表を行います。」
 
1522作品から選ばれた3名の生徒さんたちの作文とその発表はとても素晴らしいものでした。主張の内容とともにしっかりとした声、態度で発表されている姿を見て、自分自身の普段のあり方を改めて振り返る良いきっかけになったと思います。
インターネット情報を鵜呑みにせず自分自身で調べて判断するとか、自分が嫌なことは人にもしないとか、許すことの大切さなど、日常の中でもよく直面する状況について、論語の一節、教えから考えたことを作文にまとめ、それを発表されていたのが素晴らしかったです。
 
そもそも論語は、中国の孔子とそのお弟子さんたち(高弟)の言ったこと、行ったことを、孔子の死後に弟子が記録した書物で、儒教の経典である経書の一つ、朱子学においての「四書」の一つに位置付けられます。人欲を排して、自分の内にある理、理性をきわめて、自分の外の外界の事物についても理をきわめることを説いたと言われます。難しいお話ではありますが、君臣、親子の上下関係の秩序も重んじる考え方で、忠節、名分も尊ばれたため、下記の通り封建的な支配体制に合った倫理観として影響力があったと言われています。
 
孔子が紀元前551年から紀元前479年に生きた人物ですので、論語は今から2000年以上前にできていた書物になります。論語が日本にもたらされたのが3世紀、4世紀ごろとされているようですが、この儒学はその後の仏教や神道の隆盛に押され、影をひそめることになります。
ただ、江戸時代においては江戸幕府儒学の一派である朱子学を学問として重視したため、論語も武士にとって必要な素養になったわけですね。
 
その後の明治維新以降の西洋化、近代化の流れの中で論語の教えも軽視される世の中になっていきますが、『論語と算盤』の渋沢栄一のような実業家も現れるなどし、現代に至っても折に触れ、論語の教えが私たちの中に現れるなど、根強い人気を誇っていると言えます。
 
藩校サミットでは各地で論語の現代的な意義や意味を考える試みが紹介されています。私も引き続きその意義を勉強し、実践で取り入れていきたいと思います。