世界の中の日本とは

皆様、こんばんは。

 

時間は作るもの、創るもの、とはかつてよく聞き、そうだ、そうだと思っていたことですが、歳を重ねるにつれ、自分の時間が思いのほかないのでは、と感じるようになっている今日この頃です。ただ、一方で過ごす時間自身の中身、その時々の感じ方も変わってきているわけで、一概に昔がよかったとか、今がより良いとか、そんなに単純ではないものですね。

 

先日、とある先輩の方から、世の中の大きな流れについて、お話をいただく機会を頂戴したのですが、グローバルの世界では、言わずもがなかもしれませんが、英語を言語として共通認識がはかられる構図がある。グローバルな情報管理や情報の取り扱いの世界では、AIやらBig Dataのトレンドが後戻りのない流れとしてあると。

 

日本語を母国語として生きていて、これからもそうであり続ける日本人の我々は、この大きな流れにどう向き合っていくのでしょうか。

 

こういう流れであるからこそ、自国の文化や歴史の深い理解に基づいた、世界との比較がとても大切で、不可欠なんだと、言葉で表現すると当たり前のようですが、以前以上にその意味が実感できるような気がしています。

 

人のすることの評価は第三者がするわけで、どうしても主観が入りますね。判定をする立場の人が誰なのかによって、評価は変わり得るものなのかもしれませんが、一貫性ある評価、それもより多くの人からの評価を経て定まったものがいわゆる古典としての地位を確立する、ということになるのでしょうか。ただ、昨今は進化する古典、というか、見直され、新しい古典を見い出す、という挑戦的ながら謙虚な意識、意図を持つ姿勢が不可欠な世の中ですね。

 

個人的に、世界の中の日本の、黒田の戦略論の持つ意味、価値はどう位置付けられるのかに最近関心が高まっています。皆様と共同して見解や洞察を深めていきたいと考えています。中長期的な課題になるかもしれませんが、続けていく所存です。