黒田官兵衛と孫子の兵法、そして戦闘を超えた人格養成

こんにちは。

武士道とはというテーマの中で、戦さ、これは広い意味で人と人との関わり、交わりと言えるかと思いますが、戦術や戦略を考えることは、すなわち人を考えることなのだと最近とみに考えるところです。

 

黒田官兵衛は幼少期、泣き虫でかつ本の虫であったと言われていますが、当時の軍師として、当然孫子の兵法を読み、実際の戦いでその教えを使いこなしていたようです。一つの例として挙げられるのが福原城攻め(兵庫県佐用郡)の際の戦法です。城を囲む際、全部を包囲せず、一ヶ所逃げ道を作っておき、そこに逃げてきた敵を討ち取る、というものです。こういった戦いを続け、播磨地方で、毛利陣営ではなく織田陣営への引き込みに大きな貢献をしたとされます。 

 

時代は先に進みますが、官兵衛の有岡城の戦いでの幽閉は有名な話かもしれません。

約一年間牢獄に幽閉され、その時の不自由の影響で脚を悪くしたのですが、窮屈で不自由な幽閉生活の癒しとなったのが、牢獄から見える藤蔦であったと言われています。鳥や虫と植物との交わりや、その成長の様を眺めながら、生命の息吹を感じ取り生きる、生き抜くことの意味を見出したのではないでしょうか。

黒田家の家紋が藤巴である由来はここからきているものです。

 

官兵衛に限らず多くの戦国武将が音楽や詩歌の愛好家であったことは、こういった例からも頷けるような気がするのです。孫子の兵法といった兵法書に限らずに、幅広く、平家物語太平記のような無常観ある軍記物語もよく読まれていたようです。連歌や詩作など豊かな精神文化が醸成されてきた背景の一つに、人間に対する深い洞察があったのではないかと考えます。

 

優美な感情を養うことが他人の苦しみに対する思いやりを生む。

人間としての生と死を考える場合、特定の部位、症状に限定せず、感情を含めた人間全体を観る、考える姿勢がますます大切になってきているように思います。