秋月黒田城主のつぶやき

ほんわか、明るく、楽しく、でも凛と生きるための応援歌

徳川家康、黒田長政と黒田官兵衛

こんばんわ。

 しばらく慌ただしくしており、書きたかったこちらのブログにもあまり来れずにおりました。

 

日本史におけるとを問わず、人物理解、人物の間でどのような会話がなされたかを理解することは、この社会のあり方や行く末などを理解する上で鍵となることもあります。

 

これはよく言われている話ですが、天下分け目の関ヶ原の戦いが予想以上にあっけなく短期間で終了したのも、黒田長政が西軍(豊臣方)であった小早川秀秋を裏切らせ東軍(徳川方)につかせたり、毛利軍を戦いに参戦させなかったりしたこと等があったと言われています。そして、それは長政の策略のおかげとも言われます。

 

一方の官兵衛は関西地方での関ヶ原の戦いを尻目に、遠く離れた九州地方の制圧を目論み、進撃を続けます。しかし、関ヶ原の戦いで東軍があっけなく勝ったため、家康も進撃を続ける官兵衛に停戦命令をし、あえなく官兵衛は組織した軍を解散し、奪った領土は家康に献上することになった、という話です。

 

徳川家康はこうして戦いに貢献した長政の手を取って、長政を最大限讃えたとのことです。この話を官兵衛にしたところ、官兵衛は長政に「家康はお前のどちらの手を取ったのか」と問いかけ、長政が「右手であった」と返したのですが、その時官兵衛が「その時、お前の左手は何をしていたのか」と長政に言ったという話は、官兵衛の人、彼のその時の想いを物語るエピソードですね。

 

近年、北朝鮮問題やら、そもそも米国でトランプ大統領がどういう発言をしているのかなどに世界の人々が、誤解を恐れずにいうと、振り回されていたり、政策を掴むために注目を集める傾向が強まっています。いわゆる地政学リスクがクローズアップされているが故に、ますます特定の人物の理解がますます重要になると思います。

 

先日、子供の学校の歴史授業で、歴史上の人物の顔等が表された絵があり、2人いた登場人物に空白の吹き出しが記載されていて、それにセリフを考えて、記入するというプリントを持って帰ってきました。明確な答えはないと思いますが、色々な答えを考え、想像することが必要なとてもいい授業だなと思いました。

 

秋月黒田藩の藩校稽古館と日本語の情景

おはようございます。

 

秋月黒田藩の藩校は稽古館という名称で設立されています。

1775年に秋月黒田藩7代藩主黒田長堅公の治世において設立されたのが始まりとされていますが、その際は「稽古亭」という名称だった由です。

 

その10年ほど後、1784年頃拡張の動きあり、名称も「稽古観」と改められましたが、後1806年の大火で焼失し、新しく建築完成したのは1810年。その後いつかは不明ですが、いつからか「稽古館」の名称で認められています。

 

これら稽古館を巡る名称の変更から、日本語の語感が持つ美しさや情景を想起させる

力を感じます。また藩校が持つ役割も、当時は機能性がより要請されるように感じる現代の教育のあり方とは異なっていたことを想像させます。

 

「亭」は開放的な作り、周囲を閉ざす壁がなく、屋内は外の空間に開かれている、

また、景色や季節の移ろいを眺めたりするための東屋、という意味があるようです。

 

「観」は目に映った印象、物事の様子、状態、仏教においては、心の本性などを心の中で観察し、仏教の真理に到達する方法、という意味があるようです。

 

「館」は屋敷、公共の建物、施設を表す とされています。機能的な印象を感じる気が

します。

 

現代の生活は基本的には多くの人に開かれていると一般的に言われていて、確かにオープンが恩恵を与える場面もあるのでしょう。ただ、自然の移ろいを眺める中で人とは何かを考えたり、心の中で物事をよく観察しそこから何かを導く姿勢が失われているのかもしれません。

 

歴史は繰り返される、という格言から考えると、案外、過去の姿勢から学ぶことは多々あるのかもしれないと思う今日この頃です。

水五訓ー己の進路

常に己の進路を求めて止まざるは水。

 

五訓のその他の教えの中でも、表面上の動き、前進を最も感じさせる

訓がこれではないかと思います。

 

官兵衛が大勝負に打って出るのは人生のいくつかの局面でですが、

その局面のことを表している訓とも思えます。難局、苦境、苦渋に

耐えることが多かったようにも思えますが、戦略家としての官兵衛

の中で、水のように潔く、透き通る心で自らを突き動かしていく何か

があったのではないかと感じます。

 

それが何であったのか、水のような無私、静のように見えるものも、

実は融通無碍に変転するものでもあり、でも変わらない何かが水には

ある。官兵衛は何故、キリシタンとしての立ち位置をこの世で取るよう

になったのか。

 

歴史家による解釈はそれとして、現代にも蘇るテーマであると思います。

自らの解釈を作る作業はずっと継続しています。歴史を学ぶ意味をよく

考えるのですが、まだ答えはありません。

 

私にとって、水に流すことのできないテーマでもあります。

黒田官兵衛の水五訓

本当に暑い日が続きます。

熱中症にはくれぐれも気をつけて過ごしましょう。

 

秋月黒田藩の始祖は黒田長政の三男、長興(ながおき)になりますが、

その意味で、長政の父になる黒田官兵衛(如水)につながります。

 

その黒田官兵衛が残したとされる水五訓は秋月黒田家でも大切な

家訓として受け継がれています。

 

一. 自ら活動して他を動かしむるは水なり

一. 常に己の進路を求めて止まざるは水なり

一. 障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

一. 自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

一. 洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり

雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡と

なりたえるも其性を失はざるは水なり

 

日本人は何かにつけ、水とは切っても切れない関係があると思います。

これから折に触れ、このことについて考えてみたいと思います。

 

しかしながら、水分補給を忘れずに。

 

 

 

 

 

 

藩校

こんばんは。

 

今年の10月21日に新しくオープンする朝倉市秋月博物館は、江戸時代の

秋月黒田藩の藩校、稽古館(けいこかん)の跡地に建設されています。

 

藩校は各藩、各地で設立され、それぞれ特色ある教育を行なっていたと

言われています。人材の育成こそが藩の行く末、将来に重大な影響を

及ぼすとして、各藩主を中心にして運営に力を入れていたのでしょう。

 

藩校の理念や教育プログラムがどういったものであったか、秋月では

稽古館がどういった役割を果たしていたのかを、もっと勉強していきたい

と思っています。

暑さが続きますが

おはようございます。

 

暑い日が続きますね。気候はそれぞれの地で違うのでしょうが、くれぐれも

体調管理に気をつけて頑張りましょう。

 

そう言えば、先日何気なくネットでぐるぐる回っておりましたら、独立行政法人

水資源機構の両筑平野用水総合事業所のサイトに、新しいマスコットキャラクター

がデビューしたとの話が出ていました。今年の3月22日にデビューしたそうですが、

その名も、「まみちゃん」。

 

福岡県朝倉市江川ダムの領域の一部である馬見山の精霊だそうです。

特徴は鎧、具足に用いる藤色が凛々しい、とあります。サイトにも記載ありますが、

藤色は秋月黒田家の家紋、藤巴(ふじどもえ)にちなんだ色ですね。確かに涼しい感じ

がしますね。

 

ただ、「優しい性格だが、怒ると怖い」。

 

怒らず、涼しくいきましょう。

秋月郷土館から秋月博物館に

先日、5月末に秋月郷土館が閉館しました。

 

1965年に財団法人秋月郷土館としてオープン、郷土美術館とともに地元の方や秋月に足を運ばれた多くの方々をお迎えしてきました。

 

2013年には財団法人から朝倉市に貴重な財産を寄附し、それ以降は朝倉市によって運営されてきました。

 

今日に至るまで、本当に多くの方々のご苦労、ご尽力があり、郷土館の運営がなされてきました。御礼を申し上げたい気持ちで一杯です。

 

本年10月21日には朝倉市秋月博物館としてリニューアルオープンします。

この準備も大変だろうと思いますが、楽しみにしています。

 

秋月郷土館を設立され、その後の運営にご尽力された皆様のためにも、新しい秋月博物館も、多くの皆様とともに新しい価値を創りあげて、楽しめる博物館でありたいですね。