秋月黒田城主のつぶやき

ほんわか、明るく、楽しく、でも凛と生きるための応援歌

【城主はこう考えるシリーズ】ロシア民間軍事会社ワグネルによる「プーチン」への「反乱」?

皆さん、こんにちは。

蒸し暑い日が続きますね。まだまだ梅雨明けはしていませんので、降ったりやんだり、暑くなったりという不安定な日が続くかもしれません。くれぐれもご自愛ください。

 

さて、今回はまた趣向を変えて、「こう考えるシリーズ」としてみました。世の中で起こっていること等を、仮説、勝手な想像を含めて簡単に解説、問題提起してみる試みです。新聞やメディアによる報道に接して、まずどんな風にその情報を受け止め、想像を膨らませて考えていくかを紹介してみたいと思います。

 

この際、正しいかどうかは「強く」意識しないことにしますし、いわゆるなかなか手に入れることの難しい「インテリジェンス」情報なども意識せず、新聞やインターネットにあがってくる玉石混交の情報をどう料理するかで考えてみたいと思っています。

 

初回はまさにロシアでの昨日、今日の出来事として、ロシアの民間軍事会社ワグネルという組織がロシアで「反乱」を起こしたという報道がありました。ロシアによるウクライナ侵攻において戦力不足を補う役割も果たしてきたワグネルという会社。この動きに関して、少々長くなりますが、お付き合いください。

 

このワグネルの創設者エフゲニー・プリゴージン氏がロシア国内での「武装蜂起」を宣言したと報道されていました。

ロシア民間軍事会社ワグネル創設者エフゲニー・プリゴージン氏(写真:ロイター/アフロ)

場所はロシア南部、ウクライナ国境にも近いロストフ州の州都ロストフナドヌーに入ったとプリコジン氏が表明。さらにそのロストフから北上し、リペツク州に到達、さらにはモスクワを目指すとも報道されていました。

 

その後、今日になってロシア大統領府から「プリゴージン氏とワグネル部隊のモスクワへの進軍中止を合意した」と発表がありました。さらにプリゴージン氏はロシアの隣国ベラルーシに出国できるよう、プーチン大統領ベラルーシ・ルカシェンコ大統領とも話をし、身の安全を保証した、とも報道されています。

ロシア、プーチン大統領

ベラルーシ、ルカシェンコ大統領

これら一連の報道の中で、「国家分裂に(プーチンが)危機感」、「ロシアによるウクライナ侵攻に影響も」などのキーワードが出てきています。

 

さて、これらの情報からどんな風にこの事態の「意味」が捉えられるのでしょうか。

 

先に仮説の結論をお伝えすると、

  • 今回の件はグローバルの文脈でみると、欧米(米英等)の負け、プーチン大統領の勝ち
  • 国内ではプリゴージン氏がプーチン大統領の取り巻きの保守派との権力闘争に負け、国外に逃れることになった
  • 今後、欧米はさらに今回の「反乱」を使い続けプーチン大統領への揺さぶり攻勢をかけ続ける。
  • ロシア国内のプーチン大統領「取り巻き」の保守派、そして欧米(特に米国)の関係機関等によって、このウクライナ侵攻収束を巡っての「落しどころ」を探る動きが活発化していく。

といったことが仮説としてあげられるかもしれないと考えてみました。正しいかどうかは今後の進展等が明らかにしてくれるでしょう。

 

まずこのプリゴージン氏がどんな人物なのかについて、報道では「プーチンの料理人」の異名を持つとありました。もともと、プリゴージン氏自身が窃盗や詐欺で服役した過去の経歴があるものの、その後1990年代にサンクトペテルブルグで高級レストレンの事業を開始、プーチン氏がそのレストレンに訪れるようになったとあります。ワグネルとなっていく組織を作ったのが2014年、当時、ロシアによるウクライナ東部紛争、クリミア侵攻・制圧などに参加するなど、政権と持ちつ持たれつの関係が続きます。

 

これらの民間軍事会社でのプリゴージン氏の活動はプーチン大統領との直接の関係での話であり、当然、ロシアの正規軍、軍幹部にとっては統制が効かない、反発に発展しかねないことになります。ショイグ国防相、ゲラシモフ参謀総長などの名前も報道であがっていますが、これらを巡る対立が激化して、今回の事態に陥ったのだろうと予想できます。ただでさえ、ロシアによるウクライナ侵攻が予想以上の長期化を強いられていて、ロシア国防軍のメンツが立っていない状況です。

ロシア、ショイグ国防相

ロシア、ゲラシモフ参謀総長

プリゴージン氏もロシア軍幹部を、2022年2月のウクライナ侵攻に関して、ウクライナ側が攻撃をしかけてくるとの偽情報で侵攻開始を正当化して自らの利益としてきたと批判しています。この情報の真偽は検証が難しいですが、プーチン大統領というとても合理的かつ計算づくの人物がなぜウクライナ侵攻を開始したのかの一つの理由、背景を示唆するとも考えられそうですね。

 

もう一歩視点をロシア国内から外に向けてみましょう。

 

この侵攻で誰が利益を得ているのか? 

中国、でしょうか?インド、でしょうか?それとも米国、でしょうか?。。。と。

詳しくは説明しませんが、案外論理的に考えていくと明らかな部分があるように感じます。残念ながら、「もうそろそろ(利益を得すぎもまずいので)いいのではないか?」という考え自体が出てきても物事の見方が多面的になるかもしれません。これは一つの仮説です。

 

プリゴージン氏には「ウクライナの情報機関が接触していたとの情報もある」との報道もあります。ここから先は直近の報道では出ていませんが、歴史を振り返ると、ウクライナの背後には米国を中心とした欧米が存在し強く影響しています。

アメリカ合衆国、バイデン大統領

西側、反ロシアの立場からすると、プリゴージン氏が反乱の動きで頑張ってくれることに利益がありました。ただ、もう少し頑張って北上しモスクワに近づいてくれると踏んでいたとすれば、思いのほか早く中止の合意に至ったという印象かもしれません。

 

さらには、かつてプーチン大統領に叛旗を翻したオリガルヒ(財閥)は多くが英国(ロンドン)に出国していましたが、プリゴージン氏は結局ロシアの影響圏にあるベラルーシに出国する流れになっています。西側からすると自分たちの影響圏には置いていないことになります。余談になりますが、今後はプリゴージン氏の生存確認(不審死等がないかなど)が注目点の一つかもしれません。

 

プーチン大統領は今回のワグネルの反乱について「裏切りは処罰する」と緊急のテレビ演説で述べていましたが、この点は報道されている情報だけを見る限り、プリゴージン氏とベラルーシのルカシェンコ大統領との旧知の関係性と、ロシアによるベラルーシへの核兵器配置との駆け引きでプーチン大統領がルカシェンコ大統領に借りを一部返した形になったのかもしれません。

 

あるいは、プーチン大統領自身は表向きの処罰の話とは異なり、プリゴージン氏とはそれなりの関係を維持しているため、急進派、保守派からの「突き上げ」に対して、プリゴージン氏をロシア国内ではなくベラルーシに出国させることができたということで、プーチン大統領の力がまだ保守派よりも上回っていることを示す一つの証拠になるのかもしれません。ただ、いずれにしても、ロシア国内での「反乱」を望む存在はロシア国内外にそれなりにありそうですね。

 

最近になり、米国等欧米の外交雑誌でロシアによるウクライナ侵攻の和平を目指すような論稿、米国で有名なシンクタンクランド研究所等)も和平を選択肢とするような論文などを発表するようになってきている印象があります。これは米国の政権がそのような情報を意図して流してきていると見ることもできるかもしれません。

 

ロシア大統領選挙は予定通りであれば来年2024年3月、そして米国大統領選挙は同じく来年2024年11月に行われます。これらの政治日程などをにらみながら、来年初までの関係者、関係各国の動きにますます注意が必要となってきそうです。

 

さて、最後に、今回のようにロシアについて「多面的、多角的な物の見方」「中長期の歴史的視点も踏まえながら考えてみる姿勢」に役立ちそうな本を以下にご紹介します。関心がおありでしたらどうぞ手に取ってみてください。

 

【歴史的な視点や力学から欧米とソ連・ロシアとの関係を眺める】

地政学と冷戦で読み解く戦後世界史

 

【米露という大国における諜報活動に関する記録】

米露諜報秘録1945-2020:冷戦からプーチンの謀略まで

 

【ロシア・プーチン大統領理解のための一つの教科書的本】

プーチンの世界

 

【ワグネルに関する数少ない本。ウクライナ、シリアでの実戦に身を置いた元指揮官による手記】

ワグネル プーチンの秘密軍隊

 

【米国バイデン大統領の自伝。プーチン大統領との面会の様子が興味深い】

約束してくれないか、父さん 希望、苦難、そして決意の日々

 

佐藤優氏による地政学についての考え方を授業で丁寧に教えてもらう内容】

現代の地政学 (犀の教室)

 

ウクライナ出身のユダヤ歴史学者によるロシアの20世紀の歴史を一年ごと丁寧に説明。ロシア民族の歴史的な文脈などの理解もすすむ】

ロシアの二〇世紀 〔100の歴史の旅〕

 

山川出版社から読みやすい文章のタッチであらためてロシア史を学べる書。上下2巻。近代ロシア史、ソビエト連邦氏が専門の和田春樹氏による編。】

ロシア史 上 (YAMAKAWA SELECTION)

 

 

ロシア史 下 (YAMAKAWA SELECTION)

 

 

藩校シリーズ ー 秋田に赴く【明徳館】

皆さん、こんにちは。

蒸し暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか。

 

さて、今回は先日とある学会の総会で秋田県秋田市に伺ったのですが、秋田の藩校といえば、「明徳館」ということで、簡単に報告したいと思います。

 

(「秋田の歴史 改訂版」から)

秋田 藩校明徳館跡 史跡

 

秋田明徳館は久保田藩の第9代藩主佐竹義和公が開いた藩校とのこと。その創設は寛政元年(1789年)で、1792年に開講、1793年に明道館と命名、1811年に明徳館と改称し、教学の最盛期を迎えたとあります。(「国史大辞典」から)

 

明徳館では国学が早くから教授され勤王活動の一翼をなしたとのことです(同上)。

ちなみに、国学とは、江戸中期に興った、文献学的方法による古事記日本書紀万葉集などの古典研究の学問のことで、儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたものですね。漢学に対してのもので、本居宣長などによって確立された学問です。(「デジタル大辞泉」から)少し難しくなってしまいました。。

 

この明徳館の教育方針で特筆すべきものとしては、知識の詰め込み、教授からの一方通行の教えではなく、議論をして持論を組み立て、作っていくことを重んじたところにあったとのことです。(「秋田藩」研究ノート、から)

 

ところで、秋田のこの藩名が「久保田」というのは個人的に不勉強で今回うかがって初めて認識しました。。。幕末における正式な藩名は久保田で、明治4年1871年)にこれを秋田と改めたようです。

 

ちなみに、秋田出身で有名な方はたくさんいらっしゃいますが、私がぱっと思い出したのは脚本家、作家の内館牧子さん(1993年~94年にNHK連続テレビ小説『ひらり』の原作の著作等多数)がいらっしゃいますね。

ひらり(1) (講談社文庫)

ひらり(2) (講談社文庫)

ひらり(3) (講談社文庫)

ひらり(4) (講談社文庫)

 

また、お米はあきたこまち!ですね。大潟村に近い五城目町にも立ち寄りましたが、緑がきれいで、朝市なども開かれているようで、とても空気の美味しいところでした。

また、同じく五城目にある酒蔵の福禄壽さんにも伺って、見学させていただきました。

志をもって酒造りに向き合っていらっしゃるお話を伺えて、とても勉強にもなりました。

 

今回の滞在中に美味しくご飯をいただきましたが、お酒は次の機会に取っておきました。

 

全国の藩校がある土地に寄った際にはこのようにブログを上げていきたいと思います。

それでは今回はこれくらいにしたいと思います。

 

福岡でのご縁と本の出会いー『夕暮れに夜明けの歌を』

 

皆さま、こんにちは。

 

今回は今までとは少し趣向を変えて、ご縁、本との出会いについてお話したいと思います。

 

今年が秋月黒田の藩が成立してから400年の節目の年であることは少し前からご紹介してきました。その関連で、昨日、福岡県朝倉市秋月にて、野点(のだて)のお茶会があり、そこに呼ばれて参加をしてきました。

 

野点というのは、普通お茶席でイメージされるクローズドのお茶室とは異なり、自然の下で、茶室を見立てた竹の枠組みに入り、お茶をいただく、カジュアルなお茶会でした。

 

このお話も、藩校の話や今年の11月12日に秋月で行われる鎧揃え(武者行列)とともに別途ご紹介していきたいのですが、今回は、その際、福岡・博多で出会った本のことをお伝えしたいのです。

 

たまたま、つい先日、ロシアによるウクライナ侵攻を一つの題材にしたリスクマネジメントについてのセミナーでお話をする機会を得たのをきっかけに、自分とロシアとの出会いや関係を振り返る時間を得ました。1993年夏から1年弱でしたが、ロシアのサンクトペテルブルクに語学の研修に参加してロシア語の勉強をしたこと、その後モスクワでの駐在員経験などを経て、あらためて自分にとってのロシア、ウクライナはなんだったのか?を考えるようになりました。

 

今の事態に関してロシア(プーチン大統領)の行動を正当化することはできない、難しいのはそうですが、自分が付き合ってきたロシアの市井の方々、ウクライナの人々、を思い出すにつけ、この戦争は一体何を我々に突き付けているのか。そんなことなどを考えるようになりました。今の国際的な、そして日本での戦争をめぐる報道のあり方にすごく疑問を抱いていた中で、今の状況をどういう言葉で語るのが自分にとって自然なのか、をずっと考えるようになっていたのです。

 

そんな流れで、福岡県に来る機会を得て、時間の合間を縫って本屋に飛び込み、ロシアの自然についての描写を読んでみたいと思い、ミハイル・ショーロフの『静かなドン』を読んでみたいと捜したのですが、在庫ゼロ。本屋の中をあちこちを見て回ったのですが、なく、時間もないので本屋を出て秋月に向かおうとして、たまたまロシア文学の棚の一部にあったのが、奈倉有里さんの『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』(イースト・プレス)です。

 

夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く

 

これは何かが起こるかもしれないと思い、ほぼ即決で手に取って本屋を後にしました。

そしてその後、移動時間などの隙間時間でしたが、ページをめくる先からぐいぐいと本の中の世界に引き込まれていき、あっと言う間に読み終えてしまいました。

 

ネタバレをしたくないので、でも是非、是非、手に取ってお読みいただきたいです。

 

個人的には、ロシア、サンクトペテルブルク、モスクワなどなど、私とは勉強の深さ、質、意気込みは圧倒的に違いますが、でも文章から流れ出るロシアの香りが思い出されます。

そして、この本では、市井(といっても大学という枠ではありますが)のロシア、そしてウクライナや、ベラルーシといった、我々のメディアで文字や映像では「単語」としてしか出てこない情報を、生の人のこととして表現されています。

 

内容は最後まで読み進めていくと、「あっ!」と思わせられる展開自体もさることながら、この奈倉さんが使う言葉の一つ一つが魔法のように読む人の中に、染み入ってくる感じです。言葉の使い方、表現がうーんと唸らせられるとともに、ロシア人であろうが、ウクライナ人であろうが、どこの人であろうが、真剣に生きる人の生き様は読む我々の心を打つものがあるように感じます。自然と涙があふれるような、そんな気がします。

 

ロシアの小説や詩の作家の名前がたくさん出てくるのですが、それはあまり気にせずに読んでいかれることをお勧めします。

 

最後に、ネタバレをしたくないと言いつつ、あとがきの部分にあった表現をご紹介したいと思います。

 

「人には言葉を学ぶ権利があり、その言葉を用いて世界のどこの人とでも対話をする可能性を持って生きている。しかし私たちは与えられたその膨大な機会のなかで、どうしたら「人と人を分断する」言葉ではなく「つなぐ」言葉を選んでいけるのかーその判断は、それぞれの言葉がいかなる文脈のなかで用いられてきたかを学ぶことなしには下すことができない。

 

文学の存在意義さえわからない政治家や批評家もどきが世界中で文学を軽視しはじめる時代というものがある。おかしいくらいに歴史のなかで繰り返されてきた現象なのに、さも新しいことをいうかのように文学不要論を披露する彼らは、本を丁寧に読まないがゆえに知らないのだーこれまでいかに彼らとよく似た滑稽な人物が世界じゅうの文学作品に描かれてきたのかも、どれほど陳腐な主張をしているのかも。

 

(中略)

文学が記号のままではなく人の思考に近づくために、これまで世界中の人々がそれぞれに想像を絶するような困難をくぐり抜けて、いま文学作品と呼ばれている本の数々を産み出してきた。だから文学が歩んできた道は人と人との文脈をつなぐための足跡であり、記号から思考へと続く光でもある。もしいま世界にその光が見えなくなっている人が多いのであれば、それは文学が不要なためではなく、決定的に不足している証拠である。

 

今世界で記号を文脈へとつなごうとしているすべての光に、そして、ある場所で生まれた光をもうひとつの別の場所に移し灯そうとしているすべての思考と尽力に、心からの敬意を込めて。」

 

お勧めしたいです。

 

藩校の精神が今に活きる(No.1)ー 秋月黒田の藩校「稽古館」

皆さん、こんにちは。

 

前回は今年、2023年が秋月黒田の藩が成立してから400周年に当たる大切な年であることを紹介しました。

 

しばらく秋月のことについてお付き合いください。

私からみて秋月の宝として挙げられるもの、それは秋月に住む皆さんであり、その歴史を営々と作り続けてきた伝統や歴史の時間ではないかと思います。

 

そんな中で、秋月の人たちの教育において藩校、稽古館が持つ意義はとても大きいものがあったと考えられます。

 

ところでこの「稽古館」、江戸の同じような時代に他のいくつかの藩でも同名の藩校が存在しています。例えば、島原、弘前彦根などでも「稽古館」として活動していたようです。秋月の稽古館は、もともと1775年に「稽古亭」として設立されていたものを「稽古館」として名前を変えて存続させていたものです。

 

それでは続きは次回、もう少し秋月の稽古館のことを紹介していきます。

乞うご期待です。

本年、立藩400年を迎える秋月黒田藩

皆さん、こんにちは。

 

さきほど気づいたのですが、前回ここでつぶやいたのが何とかれこれ1年も前だったことに。。。ロシアによるウクライナ侵攻の後につぶやいていたのですが、その後つぶやかずに今に至っていました。

 

時が流れるのが早いこと、早いこと。そして、それ以上にずっと気にはなっていたのですが、ここでつぶやくことから遠のいていたのを気にしつつ今まで過ごしてきました。

 

これからはもっと気楽に、自分の思いもそうですし、見たこと、聞いたこと、体験したことなど、つぶやき、発信していきたいと思います。

 

タイトルに戻るのですが、1623年に黒田長興(ながおき)公が今の朝倉市秋月の地で秋月黒田の藩を成立させて今年がちょうど400年という節目に当たります。

 

朝倉市を中心に色々な行事や活動が催されていくのではないかと思いますが、さらに多くの皆さんに活動が広がりを見せていくことを期待したいと思います。そして、これからも多くの方が幸せに生活されるように祈念しています。

 

私は秋月の地にまだまだ埋もれている良さを探し出すお手伝い、「地『宝』(ちほう)再生ナビゲーター」として今後も活動していきたいと思っています。

 

ロシア・ウクライナ侵攻のさなかで ー 絵本『伝染病に挑んだ人々~予防接種秋月物語~』

皆さま、こんにちは。

お変わりありませんでしょうか。

おかげさまで私は元気に活動しています。皆さま、くれぐれも御身大切に過ごしてください。

 

変わりなく元気に過ごす方もいらっしゃれば、不幸にもコロナに感染して辛い状況を経験される方もいらっしゃいます。今こうして過行く様々な事柄は、ゆくゆくは歴史が教えてくれることがたくさんあるように思います。歴史の声というのがあるとすれば、真剣に、素直にその声を聴く姿勢が我々に問われているのではないかと思います。おごらず、謙虚になりながらも、でも凛と物事に向き合っていく。そういう姿勢を持ちたいと日々思う今日この頃です。

 

今年に入って、コロナ・オミクロンの広がり、北朝鮮のミサイル発射、そしてロシアによるウクライナ侵攻などなど、気持ちがふさがる、悲しいニュースが続く中で、「予防接種は秋月藩から始まった」キャンペーン推進協議会様が3年かけて編集を続けてこられた絵本を手にする機会に恵まれました。

 

本キャンペーン推進協議会様は、江戸時代に日本で初めて天然痘の予防接種に成功した秋月藩医、緒方春朔を始め、彼を支えた秋月藩第8代藩主黒田長舒(ながのぶ)、自らの息子を天然痘接種成功のため緒方春朔に捧げた大庄屋天野甚左衛門の功績を顕彰する活動を続けてこられました。そしてこの度、さらなる啓蒙活動の一環として、子どもたちに理解しやすいような絵本を制作、完成させ、この2月14日から販売を開始されたとのことです。この2月14日、というのは、世の中では「バレンタインデー」として広く知られていますが、「予防接種記念日」として登録(日本記念日協会認定)されているとも伺っています。

感染症と闘った郷土の先人 天然痘予防接種の秋月藩医・緒方春朔ら 朝倉市秋月博物館で特別展 - 産経ニュース (sankei.com)

朝倉市秋月博物館【イベント情報】 | 朝倉市 (asakura.lg.jp)

 

さまざまな先人の苦労、経験、そして善意などの重なりの中で、秋月という一つの地方から、我々人間が住みよい世界を創っていくための土台を積み上げていっていた事実は、今の時代を生きる我々にも生きる勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

 

ウクライナもそうですし、世界のその他の地域でも、自分たちの故郷から避難することを余儀なくされる人々がたくさんいるということを目の当たりにしています。そんな中、子供たちが、大人たちが、コロナに感染したり、健康を害していくことがないような世の中を願いたいと思います。

 

この絵本、『伝染病に挑んだ人々~予防接種秋月物語~』は1冊1,500円(税込)とのことですが、世界中の子供たちの命を救うため、絵本売上の10%相当額を日本ユニセフ協会に寄付されるとのことです。皆さま、何卒手にとっていただければと願っています。

 

(お問い合わせ先)

「予防接種は秋月藩から始まった」キャンペーン推進協議会 事務局

〒838-0011

福岡県朝倉市秋月野鳥111-1 松木

akiduki214campaign@leaf.ocn.ne.jp

 

(絵本取扱所)

朝倉市秋月博物館 他

電話: 0946-25-0405

朝倉市秋月博物館【トップページ】 | 朝倉市 (asakura.lg.jp)

 

【第18回藩校サミット壬生大会に参加して(2)】論語と今の生活と

皆様、こんにちは。お変わりありませんか。

年末に向けて、少しずつですが、コロナ禍前には普通であった、日本の年末の何とも言えない喧騒、わさわさした気分を今年は感じられるようになってきたかと思います。
 
さて、前回は先週末に栃木県壬生町で開催された第18回藩校サミット壬生大会に参加してきたことなどを書きました。会場では地域の特産品、食品などの物産の紹介もあり、賑わっていました。地産地消とも言いますが、さらに盛り上がって、維持発展していただければと思いました。
 
今日は前回に続けて、サミットのプログラムの中で私が特に感心したものを紹介したいと思います。もちろん他にも素晴らしいものがたくさんありましたが、子ども文化活動というものの中で「みぶ論語青少年の主張」というもので、壬生町内の小中学生3名による作文発表が素晴らしいと思いました。
 
藩校サミット壬生大会の開催パンフレットに以下のような紹介がありました。
「『壬生論語』の意味をさらに深く理解するとともに、論語を通して現代社会や日常の生活、また自身の生き方を学び、より良い社会づくりに貢献できることを目指すということを目的として、町内の児童・生徒、一般町民を対象に「壬生論語青少年・町民の主張作文コンクール並びに発表大会を行いました。
応募総数は1522作品に上り、最終選考に残った3名による作文発表を行います。」
 
1522作品から選ばれた3名の生徒さんたちの作文とその発表はとても素晴らしいものでした。主張の内容とともにしっかりとした声、態度で発表されている姿を見て、自分自身の普段のあり方を改めて振り返る良いきっかけになったと思います。
インターネット情報を鵜呑みにせず自分自身で調べて判断するとか、自分が嫌なことは人にもしないとか、許すことの大切さなど、日常の中でもよく直面する状況について、論語の一節、教えから考えたことを作文にまとめ、それを発表されていたのが素晴らしかったです。
 
そもそも論語は、中国の孔子とそのお弟子さんたち(高弟)の言ったこと、行ったことを、孔子の死後に弟子が記録した書物で、儒教の経典である経書の一つ、朱子学においての「四書」の一つに位置付けられます。人欲を排して、自分の内にある理、理性をきわめて、自分の外の外界の事物についても理をきわめることを説いたと言われます。難しいお話ではありますが、君臣、親子の上下関係の秩序も重んじる考え方で、忠節、名分も尊ばれたため、下記の通り封建的な支配体制に合った倫理観として影響力があったと言われています。
 
孔子が紀元前551年から紀元前479年に生きた人物ですので、論語は今から2000年以上前にできていた書物になります。論語が日本にもたらされたのが3世紀、4世紀ごろとされているようですが、この儒学はその後の仏教や神道の隆盛に押され、影をひそめることになります。
ただ、江戸時代においては江戸幕府儒学の一派である朱子学を学問として重視したため、論語も武士にとって必要な素養になったわけですね。
 
その後の明治維新以降の西洋化、近代化の流れの中で論語の教えも軽視される世の中になっていきますが、『論語と算盤』の渋沢栄一のような実業家も現れるなどし、現代に至っても折に触れ、論語の教えが私たちの中に現れるなど、根強い人気を誇っていると言えます。
 
藩校サミットでは各地で論語の現代的な意義や意味を考える試みが紹介されています。私も引き続きその意義を勉強し、実践で取り入れていきたいと思います。