人の間: 間合いを取ることの大切さ

こんばんは。

 

何だかいつもいつも忙しいと言っては自分の考えたこと、思ったことの発信が後回しになってしまっています。自分の中で、考えたことを寝かせ、熟成させ、という時間、時期が大切だったりはします。ただ、それだけではこの世の中での進歩にはつながっていかないように思います。自分の外に発信することで、世にインパクトを与えていかないといけない時期、年齢というものがあると最近つくづく思います。

 

先日10月22日でしたか、福岡県朝倉市秋月で時代祭り、鎧揃えなどのイベントがありましたが、その時に、剣術で相手とどう向き合って技をかけるか等を披露してくれた団体がありました。今回はそれを見ながら、武術には端的に現れているなと思いましたが、武術に限らず、人と人の間には様々な意味での間合い、距離間、距離感を持つことが極めて大切なんだなと思いました。

 

近すぎてもうまく技をかけられないし、遠すぎても技をかけるのに必要以上に力が要せられる。適正な距離感があるのだなと、演武を見ていて気づきました。その適正な距離感を掴むのにはそう簡単ではなく、心身ともに訓練の継続や研ぎ澄まされた集中力、そしてそれを頭の中で再現できる想像力も必要なのではないでしょうか。

 

昨今、ヴァーチャルの世界やネットの世界で、人と人の身体的な熱や立体的、空気感が希薄な世界の住人が多い世の中にますますなってきているように思います。さらには目の前にいる人が言葉を発してきた場合、文字だけではなく、人の表情や体温を伴った音声の言葉が自分に向かってくる時のコミュニケーションのあり方に案外戸惑う子供や人たちも増えてきているのかもしれない、と感じたりします。

 

お互いの温度感、体温を伴った言葉のキャッチボールによって、人間は案外うまく事を運ぶためのよい知恵を見出せるのではないでしょうか。そんなことを考えさせる演武でした。

勝海舟と武士道の究極の理想

皆様、こんばんは。

先般、10月21日に福岡県朝倉市秋月で、朝倉市秋月博物館がリニューアルオープンしました。朝倉市は本年7月に豪雨に見舞われ、今も多くの方々が被害にあわれ、まだまだ復興の途上にあります。そんな状況の中、支援の一つの力となればという想いもあり、この時期に開館されました。今後の活動に期待したいと思いますし、微力ながら私自身もできる限り支援をしたいと考えています。

 

その秋月博物館は、前身の財団法人秋月郷土館、郷土美術館から引き継がれたものですが、郷土の方からの素晴らしい美術品もさることながら、黒田家ゆかりの鎧兜、島原の乱への出陣図、合戦図の屏風、秋月黒田家の統治時代等の関連の古文書など、貴重なものが多数展示されています。秋月の素晴らしい風土と相まっていて、是非足を運んでいただければと願っています。先日はその展示物をみていて、とある方から、刀について聞かれたのが、自分にとって一つの貴重な刺激となったのです。

 

武士道は、刀を力と勇気の象徴とした、と新渡戸氏にあります。我が国の多くの神社や名家において、刀を礼拝の対象として収蔵している。刀鍛治は単なる職人ではなく、霊感を授かった芸術家であり、その仕事場は聖域であった。日本の刀に鬼気が帯びるのは、そのような職人の霊が乗り移ったものか、あるいは守護神の霊気が宿ったものであろうか。

 

そういった話の流れの中で、新渡戸氏は、武士道はその刀の使用を正当化したのか、その答えは断じて「否」だ、としています。そして、我が国の歴史上、最も激動の時代をくぐり抜けてきた勝海舟のことを紹介しています。再三にわたって暗殺の対象となってきた彼は、決して自らの刀を血で汚すことはなかったと。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だったと海舟は言っています。負けるが勝ち、だとか血を流さずに勝つのが最上の勝利、だとかは洋の東西を問わず、戦略家が説いてきている格言ではありますが、要は、武士道の究極的な理想が平和であることを示している、と新渡戸氏は述べています。 

亡くなった秋月黒田家第14代、黒田長榮公は、太平洋戦争の海軍時代、いじめにあったと言い、その辛さから逃れるため、刀を持って夜自刃を思いたったことがあると述べています(『秋月黒田藩第14代城主 黒田長榮』小田豊二氏・黒田長榮著、麗澤大学出版会)。

 

今般、刀のことを聞かれた時、そういえば生前の長榮公は刀についても想いを持っていたことを思い出した次第です。刀はとても奥が深いものですね。

 

 

第15回藩校サミット 金沢大会

こんばんは。

なかなかこちらに来れず、慌ただしい日々を過ごしています。

 

世の中、色々と大きく変化、事件もあり、後世から振り返れば、今年が大きなターニングポイントであったというような時期であるのかもしれません。

 

色々な都合で詳しくは別途お話したいテーマではありますが、先日、9月30日、10月1日と、石川県は金沢にて全国藩校サミットの第15回大会があり、参加してきました。

 

金沢は加賀百万石、前田藩ですが、その前田さんがホスト役のような立場で、金沢市の皆さんが真心を込めて準備をされ、無事終了しました。手作り感があり、また江戸徳川幕府、徳川宗家と前田さんの対談なども、とてもユーモアもあり、楽しい一時であったと思います。

 

藩校サミットの趣旨は、江戸時代に各藩で作られた藩校で学ばれた様々な学問、哲学、武術等が現代においても有益なものがあるだろうとの評価の元、藩校の学問で有益なものを現在及び将来の子供たちにも受け継いでいこうというメッセージを、宣言という形で世の中に発信していこう、というものです。

 

時代が進もうが、文明の利器が発展していこうが、人間自体は大きく変化するものではないですね。社会という人間相互が助けあって成り立つ環境で、守るべき価値で変わらないものはあると思います。

 

藩校サミットがあるこの時期は、あらためて立ち位置などを振り返る時でもあります。

 

来年の第16回藩校サミットは京都の舞鶴で開催されます。牧野家のお膝下での開催、どういった出会いがあるのか、新たな発見を求めて、今から楽しみであります。

 

 

北朝鮮問題、キューバ危機、そして武士道教育

こんばんは。

前回原稿をあげてから、慌ただしく過ごしておりました。

 

グローバルな環境では北朝鮮のミサイル危機が耳目を集め、以前のキューバ危機ではありませんが、米国を中心に世界の大国の思惑や事案の見方によっては、対処の仕方が誤った方向にいきかねない事態とも言えます。

 

今のところ、北朝鮮を取り巻く回りの大国の方針に一定の擦り合わせが行われていることが窺われますが、これも盤石ではないかもしれません。

 

先日から武士道についての書籍を紐解きながら、私自身、今後の日本人にとって必要な、有益な振る舞い、勉学やものの見方は何があるのかについて、ヒントを求め続ける日々が続いています。その武士道の中で気になったくだりがありましたので、記載しておきたいと思います。

 

ー武士道を支える三つの柱は、智、仁、勇、すなわち知恵、仁愛、勇気であるとされた。サムライは本質的に行動の人である。

 

ー哲学と文学の二つは、サムライの知的な訓練の主要な部分をなしていたが、これらにおいて武士が求めたのは、客観的な真理ではなかった。哲学は軍事的あるいは政治的な問題を究明するため、そうでなければ人格形成の実践的な助けとして学ばれた。

 

ー(武士道の教育課程にある)柔術は、攻撃および防御に解剖学的な知識を利用したもの。柔術は、相撲とは異なり、筋肉の力に頼らない。また、他の攻撃法とは違って武器を用いない。

その技は、相手の身体のある部分を掴み、あるいは打って麻痺させ、抵抗できなくするものである。その目的は、相手を殺傷することではなく、一時的に相手を動けないようにすることにあるのだ。

 

現代との違いはもちろんあるものの、考え方として、「相手を動けないようにする」戦略なるものを日本こそが考え抜く必要があるように思います。今からでも遅くはないでしょう。

 

黒田官兵衛と孫子の兵法、そして戦闘を超えた人格養成

こんにちは。

武士道とはというテーマの中で、戦さ、これは広い意味で人と人との関わり、交わりと言えるかと思いますが、戦術や戦略を考えることは、すなわち人を考えることなのだと最近とみに考えるところです。

 

黒田官兵衛は幼少期、泣き虫でかつ本の虫であったと言われていますが、当時の軍師として、当然孫子の兵法を読み、実際の戦いでその教えを使いこなしていたようです。一つの例として挙げられるのが福原城攻め(兵庫県佐用郡)の際の戦法です。城を囲む際、全部を包囲せず、一ヶ所逃げ道を作っておき、そこに逃げてきた敵を討ち取る、というものです。こういった戦いを続け、播磨地方で、毛利陣営ではなく織田陣営への引き込みに大きな貢献をしたとされます。 

 

時代は先に進みますが、官兵衛の有岡城の戦いでの幽閉は有名な話かもしれません。

約一年間牢獄に幽閉され、その時の不自由の影響で脚を悪くしたのですが、窮屈で不自由な幽閉生活の癒しとなったのが、牢獄から見える藤蔦であったと言われています。鳥や虫と植物との交わりや、その成長の様を眺めながら、生命の息吹を感じ取り生きる、生き抜くことの意味を見出したのではないでしょうか。

黒田家の家紋が藤巴である由来はここからきているものです。

 

官兵衛に限らず多くの戦国武将が音楽や詩歌の愛好家であったことは、こういった例からも頷けるような気がするのです。孫子の兵法といった兵法書に限らずに、幅広く、平家物語太平記のような無常観ある軍記物語もよく読まれていたようです。連歌や詩作など豊かな精神文化が醸成されてきた背景の一つに、人間に対する深い洞察があったのではないかと考えます。

 

優美な感情を養うことが他人の苦しみに対する思いやりを生む。

人間としての生と死を考える場合、特定の部位、症状に限定せず、感情を含めた人間全体を観る、考える姿勢がますます大切になってきているように思います。

サムライ、武士道の精神と我々の生活と

こんばんは。

 

前回こちらのブログに記事を載せた後、家のことで色々と対峙することが多く、こちらに来ることが正直できませんでした。子供たちの受験やらスポーツの試合に関わるメンタルのあり方、指導者との向き合い方等など。実際に課題に向き合っているのは子供たちではありますが、子供たちに対すると同様に、我々親に対しても考えさせることが多々あり、日々深い時間を過ごさせてもらっています。

 

話は若干それるようですが、最近、「残りの人生であとどれくらいの良書と巡り会い、読めるのであろうか?」と思うことが多いのです。人生80年?、90年?、先のことは分かりませんが、それほど多くは読めないかもしれません。読書を楽しみにしている方の場合は特にそんなことを思うことがあるかもしれません。

 

自分にとって20年以上も前に一度読んだ本で、先ほどお話をした、ここ最近の子供たちとの時間を通じて、新渡戸稲造氏の『武士道』を改めて読み直してみたいと実感し、読んでいるところです。以前に読んだ時には子供たちもおらず、読んだということは覚えていますが、正直な話、世の中との「取っ掛かり」がなかったのか、内容についてあまり覚えていなかったのです。面白いものですね。まだ我が家、我が身にとっての武士道とは何かまで落とし込んでいませんが、今の自分の身の丈にとって気になる記述を紹介したいと思います。

 

義は、武士道の掟の中でも最も厳しい教訓である。サムライにとって、卑劣な行動や不正な行為ほど忌むべきものはない。

義とは、勇気を伴ってなされる決断する力のことである。道理にまかせて決断をし、いささかも躊躇しない心をいう。死すべき場合には死に、討つべき場合には討つことである(この部分は林子平の定義)。

勇気は、義をなすために行われるものである。そうでなければ、徳としての価値はほとんどない。武士道においては、死に値しないことで死ぬのは、「犬死」と呼ばれた。

水戸光圀はこう述べている。「戦いに臨んで討死することは、難しいことではない。それは、とるに足らない者にでもできることである。生きるべき時に生き、死ぬべき時にのみ死ぬことを、本当の勇気というのだ」。いやしくも武家に生まれた者は、「大勇」と「匹夫の勇」との違いをわきまえない者はいなかったであろう。

 

これらをどう解釈し、自身の糧とするかは別の機会に譲りたいと思います。

ただ、「義」を重んじた亡き父の誕生日であり、また終戦の日が近い今日、その父を偲んでこの文章を捧げたいと思います。

 

 

 

 

 

徳川家康、黒田長政と黒田官兵衛

こんばんわ。

 しばらく慌ただしくしており、書きたかったこちらのブログにもあまり来れずにおりました。

 

日本史におけるとを問わず、人物理解、人物の間でどのような会話がなされたかを理解することは、この社会のあり方や行く末などを理解する上で鍵となることもあります。

 

これはよく言われている話ですが、天下分け目の関ヶ原の戦いが予想以上にあっけなく短期間で終了したのも、黒田長政が西軍(豊臣方)であった小早川秀秋を裏切らせ東軍(徳川方)につかせたり、毛利軍を戦いに参戦させなかったりしたこと等があったと言われています。そして、それは長政の策略のおかげとも言われます。

 

一方の官兵衛は関西地方での関ヶ原の戦いを尻目に、遠く離れた九州地方の制圧を目論み、進撃を続けます。しかし、関ヶ原の戦いで東軍があっけなく勝ったため、家康も進撃を続ける官兵衛に停戦命令をし、あえなく官兵衛は組織した軍を解散し、奪った領土は家康に献上することになった、という話です。

 

徳川家康はこうして戦いに貢献した長政の手を取って、長政を最大限讃えたとのことです。この話を官兵衛にしたところ、官兵衛は長政に「家康はお前のどちらの手を取ったのか」と問いかけ、長政が「右手であった」と返したのですが、その時官兵衛が「その時、お前の左手は何をしていたのか」と長政に言ったという話は、官兵衛の人、彼のその時の想いを物語るエピソードですね。

 

近年、北朝鮮問題やら、そもそも米国でトランプ大統領がどういう発言をしているのかなどに世界の人々が、誤解を恐れずにいうと、振り回されていたり、政策を掴むために注目を集める傾向が強まっています。いわゆる地政学リスクがクローズアップされているが故に、ますます特定の人物の理解がますます重要になると思います。

 

先日、子供の学校の歴史授業で、歴史上の人物の顔等が表された絵があり、2人いた登場人物に空白の吹き出しが記載されていて、それにセリフを考えて、記入するというプリントを持って帰ってきました。明確な答えはないと思いますが、色々な答えを考え、想像することが必要なとてもいい授業だなと思いました。